実績報告サマリー 鳥取県の世界遺産申請は頓挫している。この閉塞的状況を打開するため、2009年度鳥取県環境学術研究費助成研究「文化的景観の解釈と応用による地域保全手法の検討」によって国際シンポジウム「大山・隠岐・三徳山-山岳信仰と文化的景観-」を開催した。そこでの結論は、三徳山だけでなく、対象範囲を大山・隠岐国立公園や山陰各地の密教系諸山にひろげ、とくに「奥の院」の考古学的研究と国内外の比較研究を進めるべきというものであった。シンポジウムの成果は、2010年度科学研究費補助金基盤研究Cに採択された「石窟寺院への憧憬 ―岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流に関する比較研究―」に継承され、摩尼寺「奥の院」遺跡(鳥取市覚寺)の発掘調査をおこなった。県内外を問わず、密教寺院の「奥の院」に考古学的なメスが入れられることはほとんどなく、摩尼寺における発掘調査はきわめて意義深いものであるが、初年度の調査で十分な成果が得られたとは言えない。その問題点を克服するため、本研究により、国際シンポジウム報告書(↓①)の編集・刊行と摩尼寺「奥の院」遺跡出土遺物の自然科学的分析を併行して推進した。結果として、以下2冊の報告書を刊行した。
①鳥取環境大学建築・環境デザイン学科&鳥取県教育委員会歴史遺産室(編)
『大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観-』2011年9月
②浅川滋男(編)『摩尼寺「奥の院」遺跡 -発掘調査と復元研究-』2012年3月
報告書②は2010年度の発掘調査(科研費)と2011年度の環境考古学的分析(県環境学術研究費)の成果を総合したものである。2011年度の成果としてとくに重要な点を列記する。
1)ハンドオーガーボーリング調査により、自然堆積層が地表面下2.5mに達することがあきらかになった。
2)花粉分析の結果、上層期の「奥の院」にマツ属が多く植えられていたことがあきらかになり、『因幡民談記』所載絵図との一致をみた。
3)2010年度発掘調査では土器の編年によって、下層を平安後期、上層を室町後期~江戸時代前期と推定していたが、遺物の数が少なく信頼性が高いものとはいえない。2011年度は放射性炭素年代測定をおこない、上記の年代観が正しいことが裏付けられた。
4)下層整地土に含まれる大量の凝灰岩片は、地下で発見された平らな凝灰岩盤と同じ「変質凝灰岩」であり、岩陰仏堂周辺の「デイサイト凝灰岩」とは異なることが判明した。したがって、岩陰の掘削年代は不明というほかないが、そこに安置された木彫仏は平安時代末期の作との見方が専門家より示された。
このほか、12月17日には「山林寺院の原像を求めて-栃本廃寺と摩尼寺「奥の院」遺跡-」シンポジウムを重要文化財「仁風閣」で開催した。山陰海岸ジオパークの一部をなす摩尼山は「山のジオパーク」として重要な意味があり、今後は山陰海岸国立公園への編入をめざすとともに、「奥の院」を中心とする一帯を重要文化的景観に選定する必要があるなど討議が交わされた。
本研究は単年度研究であり、2冊の報告書刊行によって「調査研究」については一段落した。今後の課題となるのは、摩尼寺「奥の院」遺跡の文化資産保護と環境整備計画であり、2012年度は新規研究としてこの課題に取り組みたい。
- 2012/03/23(金) 03:33:33|
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