
2日は快晴で、よく動いた。皿山ですっかり陶芸の魅力にとりつかれたぼくたちは、地元の窯元をめぐりたいという欲望にかられていた。
灯台もと暗し。郡家の因久山焼の窯元は、大学から車で10分ばかりのところにある。八頭高に近い。かつては田園中にあったようにも思うのだが、いまは周辺が市街地化しており、老婆心ながら、登り窯に火を点けると、消防局が大騒ぎになるのではないか・・・なんて余計なお世話だわね。
登り窯から販売場にのぼっていく緩い石段に丸い陶器が埋め込まれている。それは、サヤをひっくり返したものだという。陶芸ど素人のぼくは、そのときはじめて「サヤ」という存在を知った。サヤとは焼成時に窯内で器物を保護するための粘土製容器のことである。丸と四角の両方があり、主屋の軒下や窯の屋根の下に積み上げてある。これがしばしば割れてしまうのだが、それを捨てるともったいないので、階段のぺイブに再利用しているのだ。風情がある。

年2回窯出しがあるとのことで、販売場にはたくさんの器が展示してあった。歴史をさかのぼると、貞享5年(元禄元年)の『因幡民談記』に「久能寺焼」の記載があり、明和元年(1764)に「因久山焼」に改名。その後まもなく鳥取藩御用達の窯元になった。旧郡家町の久能寺は古墳が多い地域として知られており、古代には八上郡土師郷と称し、「唐津場」という字名を残している。そもそも郡家(こうげ)とは古代の郡役所を意味し、そういう役所のバックグラウンドとなる窯場が古くからあったということであろう。その歴史が江戸時代の藩御用達となって華開いたのであり、老舗としてのブランド力を反映しているからか、値段が高い。値段が高いこともあり、クレジットカードが使用できる。鳥取という地域は不思議なところで、今でも、カードの使えるレストランが非常に少ない。だから、カードを使えること自体に驚いた。しかし、カードがないと、器を買いあさるのは難しいだろう。

↑軒下のサヤ。 ↓窯の中のサヤ。


皿山で大きな平皿を買ったから、郡家では縁が高めの深皿に狙いを定めた。煮浸しのようなオカズを収めたい。おでんもわるくないな。深皿とペアになる取り皿もほしい。さんざん悩んだ。悩むときは素朴なデザインを選べというのが、彫刻家の姉の教えである。「飽きがこないから」というのが、その理由だ。 その教えに従って、いちばん大人しい深皿と小皿を選んだ。数日後の週末、奈良の家で器を並べると、これがなかなか良い。窯元の陳列場では地味だった白っぽい器が清潔感に溢れ、映えてみえる。小鹿田焼とはちがう良さを実感した。

↑これが買った器。左の器は実物のほうがはるかによいですね。上の写真は販売場での品定めの段階です。

↑松葉で作った「火の神」が分かりますか? ↓窯焼きの写真を撮影して転載
- 2012/04/06(金) 23:23:13|
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