
2日と4日、摩尼寺を訪問した。門脇茶屋喫茶部のご夫妻が椎茸の原木栽培をしており、ちょっとした打ち合わせをしたかったのである。ごらんのとおり、楢の原木を長さ1m前後に伐って縦に並べかけ、穴をあけて菌を植え付ければ、1~2年で椎茸が大きく成長する。原木の伐採は10月以降がよく、しばらく乾燥させ、積雪の消えた3月に菌を植えつけるのだという。
昨年末に冬(どんこ)をいただき、その肉厚と旨みに唸った。2日、またしても、たくさんいただいた。その日の夕食は、次頁に示したとおり、椎茸を焼いて、生姜醤油をかけるだけ。猛烈に美味い。昨日紹介したコノスル(
チリのシャルドネ)とよくあう。

4日の入学式後、一人の青年が訪ねてきた。4期生で、環境政策学科卒業のO君。そうだな、愛称はハルキとでもしておこうか。チャックの親友で、ウクレレの弾き方を教えた記憶がある。ハルキ君によれば、「友達のいないチャックの唯一無二の親友」だそうである。かれは養蜂家(bee keeper)をめざしている。2年間千葉で修行し、このたび1年間、鳥取市国府町の農家で修行を積むことになった。
わたしはハルキ君に摩尼山のことを話した。ナオキというリーダーを失って困っているという事情も説明した。バイト代も奮発すると話した。バイト代の時給を聞いて、ハルキ君の瞳孔は大きくひろがった。どうやら貧乏しているらしい。


かれは、エアポートの就職に憤慨していた。「市役所に就職するなんて、なんで、そういうつまらない人生を選択したのか」というのだ。「なに考えてんだ!?」と、悲しんでいる。似たようなことを、実はわたしも一年半前、エアポートに言った。奨学金まみれの人生にいったん終止符を打ちたかったんだろうが、本心を明かすならば、どこかの国立大学大学院博士課程に送り込み、もう少し勉強させたいと思っていたからだ。そんなハルキ君は養蜂家の道を歩んで、貧乏している。ウクレレを練習し、バイクとロードサイクルに乗り、ボウモアの15年に目を輝かせた。お金はないけど、夢がある。
夕方、「
道」で極道しつつ、焼きそば定食を食べ、そのままタクヲの車で摩尼山へ。喫茶部も本堂も閉まっていたが、椎茸栽培の様子をハルキ君にみてもらった。わたしたちが何をめざそうとしているか、分かってもらえたと思う。
新しい出会いに、乾杯!

↑日干ししたドンコがまた美味い。竹箒も手作り。一丁いただいた。
- 2012/04/05(木) 23:20:06|
- 生物|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0