パン工房 アイ 智頭町西谷にパン屋さんがあって、そこの食パンがものすごく美味しいのよ、と教えていただいたのは、昨年の晩秋だったであろうか。アイという名のパン工房で、経営者は神戸からのIターンだというから、触覚がびくびく動いた。
大雪の冬があけて、ようやく西谷を訪れようとした日、
津野ではまた雪が降った。高速(鳥取道)にのらないまま国道53号を南下するのは、いったいいつ以来のことだろう。懐かしい風景の連続に心は躍ったが、あきらかに車量は少なくなっている。活力の衰微を感じないといえば嘘になるだろう。智頭の桜土手に提灯は吊されているけれども、まだ花は開いていない。山肌を彩っているのは梅と三椏である。春はまだ遠かった。
志戸坂峠の入口にあたる山郷あたりで右に折れる道があり、道路標識はその先に「西谷」があることを告げている。鳥取道開通以前、その標識をなんどみたか分からない。しかし、西谷の谷筋に踏み入ることはなかった。アイという名のパン工房があり、そのパン屋さんの主が神戸からのIターンで、しかも、ジャズ・カフェを併設しているという情報を得ていなければ、ぼくの人生に西谷との接触は生まれなかったかもしれない。

南行する国道53号から右に折れて西谷に向かうと、それまでとは違う空気を感じた。風景に差があるだけでなく、過疎の山間地であるにも拘わらず、なにがしらのパワーが運転席に押し寄せてくるような気がした。まもなく石垣を伴う棚田が車道の左右にひろがり始める。「伝えたいふるさと鳥取の景観」百景(2000年)に「新田の石積み畦畔」が選定されていることを後で知った。
新田は西谷の字名である。わたしの故郷の河原町にも新田がある。西郷地区のいちばん奥地にあり、そこから中学校に通う同級生がいて、苗字を覚えていないけれども、みんなから「新田」という愛称で呼ばれていた。新田は谷筋の最も奥地にあり、その生徒は毎朝4時に起きて、中学校に通うのだと聞いた。奥地にあるから歴史が古いわけではない。新田とは「新たな開墾地」を意味する。周辺の農村より歴史は浅いのである。西谷新田には「新田開拓三百二十周年記念碑」が立っている。参勤交替路であった上方往来沿いの街道集落をのぞく大半の集落は中世起源の農村だが、新田の成立は正保年間(1645年頃)という。


記念碑の上手に「パン工房 アイ」がある。英国のハーフティンバーを思わせる棟の高い木造建築で、とても新しくみえるが、経営者のご夫妻にお話をうかがったところ、神戸から移住したのは12年も前のことだという。私立大学としての環境大学が開学し奈良から着任したころ、アイのご夫婦も新田に開店したのである。ただし、当初はもっと狭い旧道沿にあり、道路拡幅に伴って、現在地に移転したとのこと。
もちろんパンを買いあさった。噂の食パンだけではなく、菓子パン数個と自家製ポン酢を買った。店だなの隣はカフェになっている。看板に誇示してあるとおりの「Jazz Cafe」だ。椅子に坐ると、窓外の棚田を体感できる。音楽はピアノ・トリオの「
ニアネス・オブ・ユー」が流れていた。たしかにジャズだが、耳障りのない心地良いイージー・リスニング風の演奏だったので、あえてだれの演奏かを訊くのはやめた。しばらくして、焼きたてほかほかのアンパンが運ばれてきた。美味しいね・・・カフェオレによくあった。ちなみに食パンは帰宅後、焼いた。分厚い食パンで、トースターにぎりぎり納まる。もちもちして、やわらかい。【続】


↑関金に「サテンドール」という洋食屋さんがあるようです。行かねばならんね。
- 2012/04/08(日) 23:15:26|
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