10日の環境学フィールド演習のガイダンスで教壇に立っていたころ、島根県から一通のメールが届いており、その直後に新聞社から研究室に電話があったらしい。初授業を終えて少しリラックスした私は、シュープリーズでバウムクーヘンと菓子パンを買い、トスクで食材を仕入れて帰宅した。久しぶりに下宿で料理を作る。これは趣味に近いものだ。メールや取材依頼のことなど何も知らないまま時が過ぎ、食事を終えてパソコンを開き、ことの次第を知った。夕方7時をすぎている。メールは、以下のような書き出しから始まっていた。
「金輪御造営差図」の(現在公開されている写図の)「原本」が、この度、
公開されることになりましたので、取り急ぎ情報提供させていただきます。
受信メールの転載は「厳禁」状態にある。が、すでに新聞報道がなされているので、その枠を超えない範囲で要点を述べておこう。
平安~鎌倉時代の出雲大社本殿の平面を描く可能性のある「金輪御造営差図」は近世のものと思われる写図がこれまで公開されていたが、遷宮ならびに東北歴史博物館特別展「東日本大震災復興祈念特別展 神々への祈り」の開催にあわせて、「原本」が公開されることになった。その記者発表が突然10日午前におこなわれ、地元の研究者らも右往左往している。
県からのメールに驚きはしたが、授業準備にかまけて放置しておいたところに山陰中央新報紙から携帯に電話があり、取材を受けることになった。そこでまたパソコンの画面を開き、何がなんだか分からないまま、質問に答えた次第である。正直なところ、「これからしっかり研究するしかない」と述べるにとどまった。そのときの発言が昨日の1面に掲載されている(↓)。

↑
山陰中央新報 20121年4月11日(1)面 クリックすると拡大します(左=上、右=下)
写図と「原本」を比較すると、虫喰いの場所が同じことなどから、写図が「原本」を元にしたものであることは確かなようである。「原本」にあって、写図にない記載がある。以下の2ヶ所。
1)図枠外に「国御沙汰」の記載
2)岩根御柱の引橋側に「長・・・・」の記載
1)については、新聞紙上に岡さんが解釈を示しているのでお読みいただければ、と。紙質の科学的分析とともに、この4文字の解釈が「原本」の年代観に係わってくるだろう。
まだ実物をみていない。スキャンされた画像をA4のインクジェット用紙に焼いて眺めている程度だが、建築的に気になる点を、ここでこっそりメモ書きしておこう。
<1>正面南西隅の3本柱のうちの1本が二重丸◎になっている。
1本通し柱説と関係するか?
<2>背面側ウズ柱にもう1つの半円形が描かれて、丸太が4本のようにみえる。
追記の1本が壁付の妻柱、3本柱(の先端の1本)が棟持柱か?
<3>正面から2列目、すなわち梁行方向では中央列の3本の柱束の丸太配列が
写本に比べ、原本のほうが「1+2」の規則性を強く感じ取れる?
<4>「引橋長一町」の文字が大きく、他と字体が異なるようにみえる??
とくに「一」と「町」の文字がいびつで、字間も狭すぎる???
今後の展示予定は以下の通り。
4月13日~ 4月15日 出雲大社宝物館
4月28日~ 6月17日 東北歴史資料館(宮城県多賀城市)
特別展「東日本大震災復興祈念特別展 神々への祈り」
7月28日~ 9月 9日 京都国立博物館(大出雲展)
10月10日~11月25日 東京国立博物館(大出雲展)
早く実物をみたいのだが、この週末は予定が詰まっていて、出雲に行けない。京博の大出雲展は「青木遺跡復元模型」が展示されるから、とうぜん見せていただくけれども、そこまで待てないな・・・被災地視察を兼ねて、多賀城まで足を運ぶしかないかもしれない。
- 2012/04/12(木) 23:35:03|
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