投入堂の周辺 観音堂と元結掛堂は登山事務所から約600mほど登った所にある。観音堂は江戸時代前期、鳥取藩主池田光仲によって再建された。元結掛堂は観音堂の洞穴側を回り込んだ先にある。県指定文化財。
その後、ようやく最終地点である投入堂の手前に到着した。蔵王堂と愛染堂の二つ合わせて投入堂である。その手前に建つ小さなお堂が春日造の不動堂。役行者の「蓮の花びらの伝説」によると、蓮の花びらの一枚が三徳山へ舞い降り、修験道の行場として始まりとされる。役行者が三徳山を訪れた時、山のふもとでお堂をつくり、法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、大きな掛け声と共に断崖絶壁にある岩陰に投入れたと言われている。「投入堂」という名の由緒である。

↑取材を受ける先生
投入堂は、玄武岩層と凝灰岩層の断層にできた岩陰に建つ懸造の堂宇である。しばらくすると霧がかかり始め、幽玄な赴きに包まれたが、それは危険の徴候でもあり、素早く下山の準備をした。汗が冷えて、肌寒い。三徳山は登山より下山が危険だと言われる。地盤が滑りやすく、体のバランスが不安定なため、崖から落ちるのでははないかとおののきながら下山した。

↑クサリ坂を必死に降りるボク

↑霧がかって神秘的な投入堂
下山後、宝物殿に立ち寄った。投入堂に祀られていた7体の蔵王権現立像(重要文化財)に圧倒された。宝物殿を出たところで、雑誌に載せるための顔写真を一人ずつ撮影した。これで、ぼくは雑誌デビューするだろうか。なんだか、うれしいような恥ずかしいような・・・それが終わり、ご住職さんに挨拶へ。その後、出版社の方と別れた。
投入堂の遙拝所で、少し遅い昼食を取った。そこには望遠鏡が置いてあり、投入堂の正面がよくみえた。ベンチに坐ってコンビニおにぎりを食べたのだが、標高が高く、渓流沿いであったため、とても寒い。あまりの寒さに、先生は昼食を素早く終え、車に急いで乗り込んだ。ぼくたちも先生に続き、車に乗った。帰り道は峠を通おった。休耕田の棚田には春とは思えないほどの雪が残っていた。(白帯)

↑遙拝所から投入堂を望む
- 2012/04/23(月) 23:41:03|
- 景観|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0