
26日(木)、P1&P3「修験道トレッキング」の3回めです。あいにく、天候は曇り空で降水確率も高かかったため、摩尼山ではなく、若桜町にある不動院岩屋堂と舂米の棚田に向かうことになりました。また、氷ノ山の「響きの森」で、GW中の登山について協議しました。登山は以下の班分けと候補を予め設定しておきました。車なしのA・B班は比較的大学から近く、バス利用可能。車ありのC・D班は大学からやや遠い山を選んでいます。
A班【車なし】: 川田、手登根、松岡、森本
B班【車なし】: 斎藤、阿保、古志、福田
候補:三角山(用瀬町) ▲508m山頂に巨岩と三角山神社あり
霊石山最勝寺(河原町) ▲334m中腹に御子岩(みこいわ)山頂に溶岩
大倉山(智頭町西谷) ▲1063m
氷ノ山(若桜町) ▲1510m
C班【車あり】:加藤(車)、野村、福永、大空
D班【車あり】:近藤(車)、中村、遠藤
候補:三徳山三仏寺投入堂(三朝町) ▲899m中腹の絶壁に奇跡の国宝建築
三徳山冠巌(三朝町) 投入堂の真反対にある巨巌。山頂をめざす
船上山(琴浦町) ▲615m後醍醐天皇籠城の山
大山(大山町) ▲1729m 伯耆富士 山頂から望む日本海は絶景
資料作成は私、白帯が担当しましたので、不動院岩屋堂と舂米の棚田の概要を述べておきます。学生2名のレポートは明日アップする予定です。

不動院岩屋堂と棚田百選「舂米の棚田」 不動院岩屋堂は八頭郡若桜町字岩屋堂にある真言宗の仏堂で、昭和28年(1953)重要文化財に指定されている。修験道の行場として知られ、人工の岩窟内にある懸造の堂宇を建てる。【懸造は傾斜地や段状の敷地、あるいは池などへ張り出して建てることを「懸け造る」といい、その建物形式を懸造と称する】
大同年間(806)に創建され、名匠として知られる飛騨匠の造立と伝えられている。岩窟の中に建てられたことから窟堂(現岩屋堂)と称された。空海(弘法大師)作と伝えられる本尊は不動明王で、因幡の黒皮不動といわれ、江戸の目黒不動、赤目不動とともに日本三大不動明王の一つである。鎌倉期に源頼朝により復興されたともいわれるが、昭和30~32年の解体修理によって、現存の仏堂は南北朝期(室町時代初期)の建立と推定される。このころ因幡・伯耆地方に醍醐寺三宝院を本山とする当山派の修験道が進出し、不動院も拠点の一つだった。本寺である妙高山神光寺は寺領150石を有する大伽藍を有したが、天正年間(1573~92)羽柴秀吉の因幡侵攻の際、兵火で堂宇を焼失し、窟堂のみが残ったとされる。窟堂の境内南方の山下に石垣の築かれた段上があり、平経盛一族の墓と伝えられる11基の五輪塔が残っている。
舂米は八東川の支流舂米川の上流域、陣鉢山・氷ノ山(須賀ノ山)などの高峰に囲まれた山間地に位置する。この地域の家並みは氷ノ山スキー場の民宿街で、昔から峠越えのための宿場街として賑わっていた。土地も開けていることから、農地が取り易く、日当たりも良い。
舂米の棚田は「日本の棚田100選」農林水産省認定地区である。山間地特有の棚田で、開墾の時期は近世(戦国~江戸)の頃と推測されている。氷ノ山麓の標高700~800mの高地に位置し、棚田と広葉樹の山々が融合した素晴らしい景観で、四季折々の変化を楽しめる。「棚田プチファーマーズ制度」を進めており、田植えから稲刈りなど体験できる。(白帯)
引用・参考文献 ・「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三編『角川日本地名大辞典 31鳥取県』角川書店、1982年
・『日本歴史地名大系第三二巻 鳥取県の地名』平凡社、1992年
・若桜町ホームページ「
不動院岩屋堂」
・Lablog 鳥取環境大学浅川研究室ブログ「
舂米の棚田」
・鳥取県の東部[因幡]と兵庫県の北部[但馬]の観光情報検索サイト
HYOITO
↑「響きの森」に展示されていた氷ノ山と棚田の写真です。ぜひクリックして、拡大写真をご覧ください。
- 2012/04/29(日) 23:27:29|
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