猫と桜と鯉のぼり-石巻・女川 仙台、多賀城、塩釜ももちろん被災地である。今はその姿がみえにくくなっているだけのことであり、仮設住宅地や巨大な土嚢袋などが散在している。仙台空港の近辺には石油スタンドが今も復活していない。塩釜から北上し、松島(一月末に
瑞巌寺を視察)を経由して北上していくと、石巻で風景が変わる。港湾に近づくにつれ、倒壊した建物、基礎だけとなった敷地、山のように積み上げられた瓦礫に目を覆うようになる。そんな荒廃した光景のなかで、鯉のぼりの群が目を引いた。橋の両側に水色の鯉が勢いよく泳いでいる。
5月1日。子どもの日は近い。港湾近辺に居住者はいない。子どももいないはずだが、被災地の未来を担う鯉なのかとも思った。まもなくコメントが入り、事実を知った。以下のサイトをご参照いただきたい。
http://www.wadaiko.info/ritsunoyume/oomagarihama.html 青い鯉のぼりは、震災で亡くなったこどもたちへの贈り物である。
石巻の瓦礫は片づき始めているが、まだあちこちに散乱している。言葉にならない。言葉にするよりも、写真をみていただいたほうが早いだろう。他の被災地と異なるのは、建て残った住宅がところどころにみられることだ。陸前高田など、大型のビルを除けば、住宅は跡形もない。だから「良かった、幸運だった」とは決していえない。建て残ったとはいえ、居住施設としては使いものにならないだろう。形あるものも、じつは形がない。


石巻港から女川港にむかう途上山側に指ヶ浜地区仮設住宅があり、、そっと視察させていただいた。そこに猫がいた。津波と地震で多くの人間が亡くなったように、猫や犬も命を失った。漁港・漁村はとりわけ猫の多い地域である。魚に群がる猫が溢れているのだ。仮設住宅でみた猫は災害に耐えて生き残った。おそらく、避難者が猫を抱きかかえて高台にあがっていったのだろう。かりに、わたしが自宅近くで被災したとしても、猫を連れて逃げた。パソコンは諦めても、猫は捨てていけない。一緒に住んでいるもの以外、この気持ちは分からないかもしれない。


石巻から女川へ北上するにつれ、桜は散り始めから満開状態に復されていった。快晴の空に映える桜の美しさ、はかなさと、無惨な被災地の光景の不釣り合いなバランスに、心も均衡を崩している。なんとも言い難い。
女川からさらに北上し、カーナビの指示にしたがって車を進めていったが、山道の行く先に追分温泉の木造施設があらわれ、このあたりで日が暮れてきた。仙台のホテルに戻るしかないと判断した。

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- 2012/05/07(月) 13:29:17|
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