ふんばれ、南三陸町 2日。昨日の帰路と同じ道を北上し、南三陸町をめざす。
南三陸町の港湾周辺市街地には、立体的に形を残す住宅はすでにみられない。鉄骨を剥き出しにしたビルの残骸がまばらに形を残し、その一方で、新しいガソリンスタンドや仮設の店舗がぽつぽつ出現している。
あてもなくレンタカーを運転し、魚市場エリアであったと思われる場所に行きあたった。その中の1棟の写真を掲載します(↑)。看板にみとれた(↓左)。その周辺を歩いていると、歩道に津波避難路を指示するペイブ標識を発見(↓右)。しばしば津波がこの街を襲っていた証である。


近くにガソリンスタンドを発見。1回めの給油に立ち寄った。以下は店員との問答。
「あの・・・24歳の女性が津波の警報を発し続けて、津波に呑み込まれた施設
はどちらにあるのですか」
「・・・あぁ、防災対策庁舎ですね。3階建の建物なんですが、あの娘は2階に
いて放送をやめなかった」
「・・・・」
「お腹には子どもがいたんです。防災対策庁舎では30名が亡くなりました」
「・・・・」
「目の前にある志津川病院(↑)でも80人が亡くなったんですよ」
ビルの3階まで津波に襲われたことが爪痕としてたしかに残っている。3階建のビルの場合、屋上に上がるしか助かる可能性がなかったということであろう。
防災対策庁舎(↓)には供養の花束をもった人が列をなす。焼香し、合掌。言葉はない。ワンバックやソロが嗚咽した場所である。



車に乗って気仙沼に向かう。まもなく、バスを利用したラーメン屋さんが目に入る。腹も減っているし、立ち寄って昼めしにしようと近づいたのだが、入口に「ボランティアのため短期休業中」の貼り紙があった。残念。気を取り直して再びレンタカーに乗る。しばらく進むと、今度はプレハブの商店街にたどり着いた。伊里前「福幸」商店街の紅い旗がたなびいている。ここのマーケットで、オム焼きそば弁当と鯛焼きを買い、中庭のテーブルで腹にかきこんだ。すぐ上の高台には、伊里前小学校と歌津中学校の仮設住宅がある。高台に上がり、湾岸域を俯瞰した。基礎だけが延々と連続する光景は砂漠に埋もれた遺跡のようにみえ、ますます満開に近い桜花との不釣り合いを際だたせている。港の建築群は一瞬にして遺跡に変わった。ふと、ポンペイが頭を掠める。
そういう廃墟のなかに「福幸」商店街の旗がたなびき、未来にむかう活力を訴えている。

↑↓伊里前「福幸」商店街 ↓伊里前「福幸」商店街周辺の被災地

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- 2012/05/09(水) 14:33:18|
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ふんばれ、南三陸町 2日。昨日の帰路と同じ道を北上し、南三陸町をめざす。 南三陸町の港湾周辺市街地には、立体的に形を残す住宅はすでにみられない。鉄骨を剥き出しにしたビルの残骸がまばらに形を残し、その一方で、新しいガソリンスタンドや仮設の店舗がぽつぽつ出...
- 2012/05/12(土) 01:00:39 |
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