-阿弥陀如来像の前でソロコンサート【限定百名】 長谷川きよし(1949-)が「別れのサンバ」で衝撃的なデビューを飾ったのは1969(昭和44)年のことである。昭和44年のヒット曲ランキングは、1位が由紀さおり「夜明けのスキャット」、2位が森進一「港町ブルース」、3位はいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」と続くが、年末のレコード大賞を射止めたのは、どういうわけか、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」であった。注目したいのは、新人賞4組の一角にシューベルツの「風」が食い込んだことである。フォーク・クルセイダーズから枝分かれしたカレッジフォークの4人組が爽やかなフォーク旋風を巻き起こしたわけだが、その一方で、60年代後半から高石ともや(1941-)、岡林信康(1946-)らの反戦社会派フォークが勢いをひろげていく。69年には第2世代というべき高田渡(1949-2005)、70年に吉田拓郎(1946-)がデビューする。(長谷川と高田が同年の生まれであることは偶さかの悪戯であろうけれども、さらに興味深いことに、我が「男はつらいよ」第1作が銀幕に登場したのも1969年のことであった。)
長谷川きよしもこうしたフォーク系ミュージシャンの一人とみなされがちだが、当時の彼は全く異次元の音世界をみつめていた。長谷川はもともとシャンソンコンクールの入賞者であり、デビュー前後にはブラジル音楽に没頭していたのである。2013年の
インタビューによると、当時最も影響を受けたギタリストとしてバーデン・パウエル、楽曲として「黒いオルフェ」をあげている。「別れのサンバ」はそうした下地の結晶にほかならない。
東京都出身の長谷川は近年京都に移住している。2012年には、NHKの番組「ソングス」に出演し、自らの音楽人生を振り返りつつ、成就院や嵯峨野などで代表曲を弾き語りした。その内容に刺激をうけた若い視聴者も少なくなく、静かなブームが広がりつつある。さらに今年(2015)の5月には、清水寺の大舞台で「心震える時」コンサートを開催した。自殺したいと思い悩む人たちを思い止まらせる「いのちの電話」プロジェクトとの関わりから「心震える時」を作曲し奉納したものだという。
こうした活動を続ける音楽家が摩尼寺に降臨する。10月24日(土)午後2時より
摩尼寺境内善光寺如来堂でのソロコンサートをお聞きください(午後1時半開場)。
【問合せ】 ℡0857-21-8455(竹内) hozonshufuk@yahoo.co.jp(事務局)
【WEB申込】
http://prt.nu/0/mani *本稿は日本海新聞に投稿した原稿(600字)に加筆修正したものである。

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- 2015/10/06(火) 19:04:26|
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