上下は昭和40年代の上方往来、河原宿の景観です。世はエレキブームでして、世界をビートルズが席巻し、日本ではベンチャーズ、寺内たけしとブルージーンズ、加山雄三の全盛期。この時代のSPレコードで育ち、兄の買ってきたエレキギターでギター小僧としての人生をわたしはスタートさせたのでした。
いちばん上の木造の住宅が下のように変わっていったのは昭和50年代以降でして、下の写真の撮影はたぶん1980年ころです。住宅はもとは六間取りの茅葺き民家だった。それが瓦葺きになり、表側がコンクリート仕上げになったけれども、六間取りの平面は変わらなかった。じつは奥座敷がハネムーン期の新居でしたが、わたしはまもなく中国に旅立つのです。
この2月、「
やうつり」という記事で、世帯構成人数が1名増えたと書いているのですが、それが元に戻りました。昨年11月末日に倒れ、すでに10ヶ月以上すぎていました。ただ、もう少しだけ踏ん張ってくれると信じていた。母の誕生日は11月12日、父の命日が11月11日だからです。父が命日に迎えに来るような、そんな気がしていたんです。仏壇に飾る父の写真が母の自慢でした。それはそれは男前に映っている。上の写真は父の写真をのぞき込む母の姿を写しています。
母は「笑点」を毎週視ていました。下の写真には司会の桂歌丸が映っている。わたしも「笑点」を好んでおりましたが、歌丸さんの引退後めっきり視なくなってしまいました。
- 2016/10/16(日) 11:53:25|
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