田和山を降りてから、少し時間があったので、月照寺を訪れた。
まこと「不覚」の一言。ただの菩提寺だと思っていたのである。ところがどっこい、月照寺は松江藩松平家の御廟所であった。池田家墓所の調査研究を2年も続けてきて、こんな身近に最高の参照資料があることを気づかずにいたのだから。


時間がなかったので、見学できたのは七代不昧公御廟と初代直政公御廟のみ。いずれも廟門をよく残し、門扉の復元に挑戦中のホカノ、ピエールにとってこれほど重要な類例もないであろう。不昧公廟門(上)の扉は、上に桐の家紋を2点、下にX字状の紋様(タスキ桟)を4点配する。直政公の玉垣(下)では、当初は石材としていた貫を板材に変えてクサビを打ち込んでいる。池田家墓所でも、貫材をクリ材に代える手があるかもしれない。クリは強度もあって腐りにくく、石材を破損させる危険性が少ない。景観的にも違和感がなく、試してみる価値があるだろう。


浄土宗の本堂はすでに残っていないが、その礎石跡はみごとに整備され、境内の景観に融け込んでいる。このあたりは、キムの卒業設計とも係わるところである。まったく、指導教員として、許されない見落としであった。霊廟と仏教と茶室と書院と枯山水と遺跡。それがみごとに融和した複合遺産であり、国史跡に指定されている。

菅田庵向月亭を思わせる露地と枯山水の庭。不昧の匂いがぷんぷんする。

- 2006/02/03(金) 23:45:27|
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