鶴岡雅義とアントニオ古賀 「
小樽のひとよ」にすっかりはまって、ついにはカラオケまでやってしまいましてね。これが結構あいそうなんだな。情熱的ではなく、淡々と歌うのがいい・・・あな恥ずかし、じつは「鶴岡雅義 レキント・ギター」なるCDも取り寄せてしまったの。なにせ「小樽のひとよ」のフレーズはずばぬけてますからね。三条正人のボーカルと鶴岡雅義のレキントの組み合わせは無双です。歌謡史に残るイントロ~伴奏~間奏ではないでしょうか。もっと言うと、歌い手を活かすギタリストとしては鶴岡雅義の右にでる人はいないんじゃないか。しかし、ボーカルのないギターだけのCDはイマイチでした。名曲がずらりと並んでいますが、1曲ごとに歌手を変えて伴奏すればおもしろかったのにね。やはりギターは歌伴の楽器なのかな、とつくづく思います。
ユーチューブに初期の名演が残っていて動画を貼り付けたかったんですが、次々削除されていく。下の動画も風前の灯火かもしれません。
すでに削除された晩年の映像でかつて確認したところ、晩年はレキントの音色が変わっている。初期の鶴岡はサムピックと他の4本の指で弦を奏でていた。指が痛くて仕方なかったそうです。結果、晩年は三角ピックで弾いているんですね。やはりナイロン弦にピックはあわない。ミストーンのように聞こえる部分が少なからずあり、残念です。
アントニオ古賀と木村好夫 ところで、ラテンと演歌はなぜ表裏一体のような関係になったのか。ペンタを楽理的背景にしているというだけでは説明が十分ではありません。アントニオ古賀(1941-)を調べて、その謎が少し解けたような気がしています。
アントニオ古賀という芸名は、アルゼンチンのギタリスト、アントニオ・シノポリと古賀政男のファーストネームをくっつけたものだというのです。アントニオ古賀は、もともとセゴビア流のクラシックギターを学んでいたのですが、1956年から古賀政男に弟子入りした。私の生まれた年です(そんなのどうでもいい!)。師匠の古賀政男も青年期からクラシック系のギター、マンドリンに熱中していました。ギター、マンドリンの世界のルーツはスペインであり、その植民地であった世界各地にまずはひろまりました。タンゴのアルゼンチンもその一つです。
古賀政男がある年、アルゼンチンを訪れることになって、アントニオ古賀を同伴した。その際、若きアントニオ古賀はアントニオ・シノポリの指導をうけた。アントニオ古賀が得意とするフラメンコの技法はシノポリの影響なのかもしれません。アントニオ古賀はしばしばロスパンチョスとも共演し、「その名はフジヤマ」を贈られています。
結論を申し上げると、アントニオ古賀という芸名にラテンと演歌が融合を読み取れるということなんですが、鶴岡雅義(1933-)はアントニオ古賀より12歳も上です。古賀政男の同門、というよりも先輩ですね。私見ながら、古賀政男の音楽を正統に継承したのは鶴岡雅義のほうだと思います。鶴岡は作曲家として多くの名曲を残しており、古賀政男の影響が色濃い。「君は心の妻だから」はその代表でしょう。「影を慕いて」の延長線上にある曲です。
一方、アントニオ古賀はギタリストとしての自分に拘った。上の演奏をどう評価するか、です。技術が高いのはよくわかる。あとはレビューを読んでください。わたしもほぼ同じ意見ですので。くどいけれども、ギターは歌伴の楽器であり、主役になる場合でも、唱わなければいけない。
下はギターを唱わせる天才と言われた木村好夫の演奏。もとはジャズ・ギタリストというから驚きですね。複雑な和声もアドリブも捨てて、音出しと感情表現に徹している。感服します。
- 2018/01/31(水) 02:47:25|
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