一般入試Aの監督で岡山まで来ている。月照寺の反省から、今日は曹源寺を訪れた。

曹源寺は、三代岡山藩主池田綱政が元禄十一年(1698)に、高祖父信輝と父光政[鳥取藩初代藩主、光仲と御国替]の菩提を弔い、自らの冥福を祈るために建立した菩提寺である。山号を護国山といい、絶外和尚を迎えて開山した臨済宗妙心寺派の禅寺で、十一面観音を本尊とする。岡山駅からタクシーにのって、運転手のおじさんに曹源寺のことをいろいろ訊ねるのだが、ほとんど何も知らない。ただ、
「あぁ、あの寺は外人の坊さんが多いんですよ・・・」
という。訪れてみると、拝観者はほとんどいなくて、静閑な七堂伽藍を満喫できる。そして、人影のない境内を忙しそうに横切る修行僧たちは、たしかにみな外国人ばかりであった。境内を去る直前、一人の修行僧に質問すると、
「・・・・??」
どうやら日本語が分からないらしく、仕方がないから、英語で
「なぜ、この寺で修行しているんですか?」
と訊くと、
「日本で外国人が禅の修行を出来るのはここだけなんですよ」
とのこと。あとで聞きたいことがあって曹源寺に電話したのだが、電話にでたのはやはり外国人で日本語が話せない。日本語が出来なくても、座禅の修行はできるのだろうが、仏典を読まないわけにもいかないだろうし、いささか不思議に思った。


仏殿背面の山の斜面に、池田家の墓所が築かれている。三代綱政から十二代章政までの歴代藩主や近親者の墓が斜面の高低差を利用して、階段状に配されるさまは景観的にも見事であり、国の史跡に指定されている。こちらの池田家墓所では、まずブロックを築地塀で画し、その中の墓碑を玉垣で画している。玉垣はもちろん石造だが、隅柱・門柱以外の柱は、古代建築の連子子のように45℃振って菱状に並べる。石材を新しくしているが、斜めの控え柱を多用している。門扉は、連子とX字(タスキ桟)の組み合わせ。X字の装飾は廟門だけでなく、仏殿脇の廊下や勝手口にも使われており、おそらく「矢来」の記号と思われる。「矢来」の語源は「遣らひ」であり、要するに「入っては駄目」という標示ではないだろうか。岡山藩池田家と松江藩松平家の廟門がそろって「矢来」の表現を採用しており、鳥取藩池田家墓所の場合も、『岩美郡史』掲載の古写真(明治四十五年頃)に「縦連子+矢来」の意匠パターンが採用されている。これまでは、樗谷神社の唐門や三角山神社本殿の門扉を参考に復元を進めてきたけれども、揚羽蝶家紋と格狭間の組み合わせは廟門には派手すぎるようで、むしろ廟所建物に採用すべきかもしれない(ピエール君、卒論の修正を急ぎたまえ!)。
↑↓宗政公(宝暦14年没)の廟門扉とその絵様
↓仏殿脇廊下の門扉
もう一つ、米谷家板倉の門扉の謎の紋様については、ピエールが興禅寺のご住職から「雲板」との類似性を指摘されているのだが、曹源寺でも開山堂や仏殿脇廊下の扉や手水鉢に類似の曲線紋様を確認できる。宝珠のようにもみえるし、座禅を組むときの法界定印にも似ており、禅宗の世界における安寧の象徴のようにも思われる。とすれば、菩提=悟りの表現なのかもしれない(まったく自信はないけれども)。
↑↓開山堂門扉の意匠
↓墓所の手水鉢(天気は良いのに氷がはっていた)
↓庫裡の行灯
拝観料100円の庭園(江戸中期)。絶外和尚と津田永忠との共作という。
- 2006/02/04(土) 23:03:25|
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