目覚めたら9時をすぎていた。利蔵が寝室に入ってこなかったら、あと2~3時間は眠り三四郎でありました。
顔がひきつった。だって、今日は卒業研究公聴会なんだから。相方の澤先生を、また待たせてしまうことになった。自分に腹が立つ。就寝前に目覚まし時計はちゃんと8時にセットしていたし、深夜、学校を出る際、徹夜する学生たちにも8時にモーニングコールを頼んでおいたのに、目が醒めなかった。
携帯電話をあけると、「着信38件」とある。
疲れていたのは間違いない。しかし、それは言い訳にならない。深夜、床について『般若心経』の概説書(じつは絵本)を読みながら、すーっと眠りについた。人間も動物も植物も道具も感情も思想も言葉も、なにもかもが大海にあらわれては消える「波」のようなものだ、というお話を読みながら、わたしはそのままハンニャハラミツの大海に沈んでいったのである。その海底から娑婆に引き上げてくれたのは利蔵であった。
発表はみな素晴らしかった、とまでは言えないけれども、これまでの苦労がよくわかった。論文組は聴衆が少なくて残念だったが、制作組は2~4年、大学院生らに囲まれ、とても幸福なひとときを過ごせたね。といいつつ、学生の発表を聞いている教師の方は、心臓がバッコンドッコンするほどいらついていたんだけれど、なにぶん遅刻した後遺症もあって、本日の鬼教師は比較的おとなしかったと自認している。あえて注目された学生をあげると、キムのアニメーション、利蔵の復元住居、Y.ジーコの屏風(大幅修正バージョン)である。社長の「尾崎家住宅保全再生計画」については、
「何がやりたいのかわからん」
と酷評する講師もいたが、それはプレゼンテーションがおとなしすぎるからで、社長の卒業設計が非常に深いものであることをわたしはよく知っている。古民家の再生計画というのは、こういう風にやるのですよ。柱をぶち抜き、カロッツェリア(自動車整備工場)に再生転用だとわめいていた学生諸君は、タクオや社長の仕事を見習うことだ。
来年度は民家に立ち返る。タクオも社長もいないけれど、必ずや後輩たちが研究を前進させてくれるだろう。
- 2006/02/09(木) 19:58:57|
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