目覚めると平熱に下がっていたのだが、とりあえず医者に行って薬をどっさりいただいた。帰宅すると、岡村からの電話。神奈川の茶室移築現場から戻ってきた岡村は、一休寺虎丘庵(京都府指定文化財)の解体修理に携わっている。京都の文化財保護審議委員は、この建物を江戸中期と認定しているのだが、岡村の師匠(K棟梁)は一休和尚の時期のものだと確信しており、ともかく見てほしい、と請われていて、その催促の電話だったのだ。普段なら、
「あぁ、いいよ」
と二つ返事でこたえるところだが、なにぶん体調は最悪に近く、自ら
「無理をしてはいけない」
と言い聞かせている状態だから、即答はできなかった。ワイフと相談し、車で送ってもらうことにして、「30分だけ」という条件で見学させていただくことになった。

なかなか素晴らしい書院である。東求堂同人斎を彷彿とさせる小振りの書院であり、チョンナ削りの痕跡も床下に散見される。檜の柱材も古くみえる。しかし、だからといって、虎丘庵の建築年代が中世に遡ると断言できるわけではない。
「仕事の出来がいいとか悪いとか、様式がどうのこうのと言っても科学的年代測定にかけると、その年代観が誤っていることがままあるのですよ。肉眼視だけで、材の産地や年代を断定するのは危険です」
と棟梁を諭しつつ、わたしは奈文研の古環境研究室に電話をかけた。あいにくM室長は不在だったので、O研究員に要件だけ伝言した。この、ど忙しい年度末に、奈文研が動いてくれる保証はまったくないのだけれども、虎丘庵の年代に固執する棟梁を納得させる科学的データを示しうるのは、いまのところ、年輪年代しかないだろう。
それから御池の歯医者まで北上。奥歯の詰め物が2ヶ所も抜けていて、今日はさんざん削られた。深さはあまり変わらないのに、一方の奥歯はびんびん神経にひびき、もう一方はまったく痛くない。おなじ人間の歯でも神経の達するレベルが違うのだということを、自らの痛みをもって知ることができた。
で、いまは「そば倉」で辛み大根のおろし蕎麦を食べている。昨年12月19日のブログでお知らせしたとおり、ここの辛み大根は顔面が麻痺するほど辛いのだが、今日の辛み大根はそれほどでもなかった。同じ辛み大根でも、季節によって辛みが違うことを自らの触覚をもって知ることができたのである。
翌14日、奈文研古環境研究室より留守電あり。おりかえし電話すると、M室長から
「そいじゃ、3月に下見に行ってみるわ」
とのありがたいお言葉を頂戴した。やはり「一休さん」のひと言が効くのだろうか。ちなみに、M室長は鳥取県出身である。
- 2006/02/13(月) 23:57:07|
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