県埋蔵文化財センターの依頼により、琴浦町の箆津(のつ)乳母ヶ谷第2遺跡焼失住居(弥生後期)を視察した。中央に赤焼土の固まりが堆積し、周辺に炭化材や炭化茅が散在している。調査担当の大川君は、この竪穴住居跡が2時期あるというので、その根拠を問うたところ、いちおう説明はしてくれるのだが、土層断面の観察、平面検出とも中途半端なので、わたしは自らガリをもって土を削ってみた。残念ながら、平面・断面とも分層はあいまいで、現状では1時期の可能性も十分あると言わざるをえない。学生たち[岡野・坂本]にもガリの作業を手伝ってもらった。土の違いなどさっぱりわからないという。まぁ、あたりまえさ! このあと近接する梅田萱峯(かやうね)遺跡の焼失住居(弥生中期)もみせてもらった。こちらはあきらかに1時期の円形住居。大きめの炭化材が中央に残っており、主柱穴との位置関係が気になるところである。今後の調査の進展に期待したい。
- 2005/06/23(木) 00:31:23|
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