某報告書を作成するため、そのベースとなる西河(♂♀)の卒業論文全文を校閲した。いやいや、ノビタが天才に思えました。これだけ疲れた体で、この修正はほんときつい。ノビタは親孝行だ。ノビタは勉強している。
いったい何を考えているのだろう、と思うのだ。建物を調査に行って、わたしが必死で調書をとる。その調書に書いている内容をまとめれば、ちょっとしたレポートにはなるはずなのだが、調書を無視して、どうして建造物の特徴を表現できるというのか。わたしの調書の文字が汚くて読めないからなのかもしれないが、まず、調書の文字を入力することから始めればよいのだ。調書に書かれた文章をランダムに入力して、それを配列しなおせば、ちゃんとしたレポートになる。それぐらいのことができなくて、どうして社会人としてやっていけるのか?
みんなよく頑張った。ほかの研究室は人影もないのに、うちの研究室だけが毎晩演習室に寝泊まりして論文や作品を仕上げていった。そのプロセスには、ほんとに感心した。こういう学生しか、うちの研究室ではやっていけない。だから人気は落ちていく。
そういうことを思えば、全員評価してあげないといけないのだが、プロセスだけが評価される時代はもう終わりつつある。なぜなら、君たちはまもなく社会人になるからだ。社会人になれば、結果が求められる。今回の卒論・卒計をみていると、プロセスのまま成果があらわれている一群とプロセスが成果となって結実していない一群に分けられる。
世間の評価は厳しいのですよ。
- 2006/02/25(土) 23:29:00|
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