どうも移動日に恵まれていない。奈良では、ただの雨だった。異変を知ったのは、南海電車ラピートβの中である。
「強風により、関西空港へ渡るブリッヂを通過することができません。泉佐野で普通電車に乗り換え、りんくうタウンからは代行バスに乗ってください。」
というアナウンスが繰り返された。バスは橋を渡れるのに、列車が鉄橋をわたれないとはどうしたことか。列車が倒れやすいのか、それとも橋の防風装置に違いがあるのか。
一時はどうなることか、と心配したが、出発時刻の30分まえにはチェックインできた。このような暴風雨のなかでも飛行機は飛ぶのである。着陸地は北海道の女満別(めまんべつ)空港、目的地は常呂(ところ)町である。
前にも述べたことがあるけれども、わたしは15年前から常呂町の史跡整備委員を務めている。常呂は縄文・続縄文・擦文・オホーツク文化の遺跡が集中する町であり、広大な範囲が国の史跡に指定されているのだが、ここに東京大学文学部に付属する北海文化研究常呂実習施設が設けられていて、考古学の教授(もしくは助教授)1名と助手1名の常勤教官がわりあてられている。常呂町教育委員会と東大常呂実習施設の結びつきはきわめて強く、ほぼ一体となった発掘調査と整備をおこなってきたのである。

そのリーダー的存在であった宇田川洋教授がこのたび退官されることになり、今夜、その送別会が開催された。後任の助教授には、常呂実習施設の助手から常呂町教育委員会の主幹に転じていた熊木俊朗くんが着任することになり、この送別会は熊木助教授の就任祝賀会でもあった。町内から60名あまりの参加者があり、祝宴はおおいに盛り上がった。わたしの出番などないだろうと思っていたのだが、遠来の客ということで、最後のほうでスピーチを求められた。
「今日こうして遠くからやってきた目的はですね、この会場に来れば、マリリンさんや林さんや小野寺さんとお目にかかることができるのではないか、ひょっとしたら、サインをいただけるのではないか、そういう淡い期待を抱いてきたからで、じつは宇田川さんも熊木さんもどうでもいいんですけど・・・」
いうまでもなく、カーリング女子のメンバーのことである。彼女たちは「チーム青森」を名乗っているが、それは青森県が国体開催のためにスポンサーになっているだけのことであり、上の3名はみな常呂生まれ。小学生のころから、常呂のリンクでカーリングの腕を磨いてきた。彼女たちは28日に帰国し、青森に直行。日本選手権の試合をこなしてからでないと、常呂町には戻ってこないらしい。幸運なことに、スキップを務めた小野寺さんのお父さんが会場にいらっしゃっていて、名刺交換することができた。小野寺俊幸さんの役職は「常呂町農業協同組合代表理事組合長」である。
スピーチは続く。
「宇田川先生にはお酒を教えられまして、かの『夜の城』では野球拳を3回ぐらいやったことがあるんです。わたし、結構強くて、よく勝つんですが、あと1枚というところで勝っても、相手が脱がない・・・ところで、熊木くんは酒を飲まないでしょ。酒を飲むとすぐに寝てしまう。それにしても、こんな目出度い日にぎっくり腰とは、どういうわけでしょうかね。おまけに奥さんまでぎっくり腰だってんだから、ったく、何やってんのっか・・・」
その熊木くんがじつは大変な遺産を町に残した。この3月1日から北見市と合併するのだが、新北見市の教育委員会には、なんと「文化財課」が設けられるという。「文化課」とは別の、独立した「文化財課」が新設されるというのだから、驚きである。熊木くんは在職2年のあいだ、谷教育長や武田参事とともに、「文化財課」の設置に尽力してきたわけで、これはたいした業績である。
行政と大学等研究機関の人事交流は重要だと思う。文化財に限らず、行政の感覚をもった大学の教員が増えてほしいものだ。お殿様では済まされない世の中になっているのだから。
常呂の女子カーリング・チームをモデルにした映画「シムソンズ」が全国各地の映画館で上映中とのこと。監督は、ウォーター・ボーイズの佐藤祐市。
- 2006/02/26(日) 23:26:06|
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