常呂町史跡整備専門委員会の冒頭でいきなり激震が走った。谷教育長が挨拶のなかで、3月4日をもって「失職」することになりました、と切り出したからである。3月5日に1市3町の合併によって新北見市が誕生する前日、つまり常呂町という行政単位の消滅とともに職を辞し、どうやら郷里に帰るらしい。昨日の送別パーティで司会を務めていた人物が、今日になって辞意を公にしたわけで、みな耳を疑った。地元の関係者の誰一人、この決意を知らずにいたようだ。
市町村合併の犠牲者が目の前でスピーチしている。本人は悩んだあげくの決断なのだろうが、結構サバサバしてみえる。問題は残された人たちだ。宇田川さんに続いて、谷教育長まで失うとは。新市体制のなかで文化財課が発足し、史跡常呂遺跡(トコロチャシ跡遺跡)の整備構想を具体化しようとしているなかで、いったいだれがこの事業を後押しするのだろうか。もっと根本的な次元に立ちかえるならば、少しく大袈裟だけれども、日本はどこに行こうとしているのだろうか、とさえ思わせる出来事に一同落胆の色を隠せなかった。
道東における唯一の光は、知床の世界自然遺産登録かもしれない。大阪や東京からの飛行機は満杯、サロマ湖沿いのリゾート・ホテルも旅客で溢れている。常呂、紋別、標津、釧路などが力を合わせ、道東の遺跡と自然を世界複合遺産として登録すべく動きだすしかないのではないか。世界遺産嫌いのわたしですら、そこにしか救いを見いだせない一日であった。
- 2006/02/27(月) 21:58:11|
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