
旧加藤家から池田家墓所まで車を飛ばした。今日は平成17年度第2回史跡鳥取藩主池田家墓所保存整備検討委員会。まずは現地視察からスタートした。プレハブのなかで接合されつつある光仲墓玉垣の石柱、ビニールハウスのなかで組み立てられつつある金三郎墓の玉垣。前者は木造建築の解体修理手法の応用、後者はベニス憲章にいうところのアナステローシスに近い復元手法である。破損、断裂した石材の接着には雇いホゾのステンレスピンとエポキシ樹脂を併用しており、さらに鋼管を使う隅柱もあり、一部では石材を穿孔することになるから、古材を傷めていることにもあるが、いまおこなっているのは外科手術であって、こうしない限り、大量の骨折は完治しない。

現場の修復状況は順調でよかったのだが、県庁に戻ってからの会議は結構もめた。なかなか楽しい揉め方だった。
ひと言でいうならば、玉垣・門の構造補強と景観的適合性のバランスの問題である。石の玉垣は放置しておけば必ず毀損・倒壊を招く。じっさい、大半の墓碑を囲む玉垣は毀損もしくは倒壊している。だから、構造補強が必要になるのだが、その構造補強がおおがかりになると、墓所の景観に不調和をもたらす。ではいったいどのあたりに着地点を求めるべきか。ここで議論が分かれた。
保存修復の理念的立場の上で左右を眺める場合、わたしの座標は最もラディカルな「新左翼」に位置している。「復元」反対、「現状保存」支持、「徹底した古材の再利用」、「構造補強材の外部露出」などなど、委員のなかでは最も西欧理念に近い信条をもって発言してきた。しかし、今日は違った。それは学科最優秀論文賞を受賞したピエールが、その卒論で玉垣に附属する唐門の構造補強について、景観的に最も影響の少ない代替案を提出したことに端を発する。従来の鉄骨補強柱、唐破風の掴み手などのない補強案で、じつにスマートなのだが、最大の欠点は古材にT字形鉄骨プレートをうける溝をほりこまなければならない点であり、また構造力学的な強度が保証されるかどうかにも疑問が残った。しかし、くりかえすけれども、ピエールの案は景観上の違和感が最もすくないアイデアであり、委員の約半数から支持を集めているようにみえた。

一人だけ特異な持論を展開する委員がいた。
「古材はすべて収蔵庫に保管し、新材で玉垣・門を建設する」
というアイデアだが、これについては、わたしが反論した。
「玉垣を<式年造替>するんなら結構ですがね・・・」
玉垣新調派が誤解しているのは、玉垣を新しくすると構造補強が必要ないと思っているところである。古材を再利用して玉垣を組みなおそうと、新しい材料で玉垣を建設しようと、どちらにしても、時間が経てば、玉垣は自壊してしまう。だから構造補強が必要不可欠になり、それを拒否するならば、選択のオプションは<式年造替>しかないのである。ただし、新造や<式年造替>は、「材料のオーセンティシティ」を喪失させ、大量の廃棄物を生みだすという致命的な欠陥をもっている。木造の建築が風雨にさらされながら、古材を再利用し続けているわけだから、況わんや石材をや、だと思うのだが、なぜ劣化をそれほど怖がるのだろうか。
それにしても、愉快な委員会だった。いろんな意見がでて決着はつかないのだけれども、でて来る議論が文化財修復の本質に直結しているので、人の意見を聞いていても楽しいし、それを論駁すべく瞬時に自分の論理を考え出す楽しみがあった。勝ち負けはないのだけれども。
風力発電のプロペラが史跡・名勝の借景を台無しにしている。環境ファシズムによる景観破壊の典型。
- 2006/03/15(水) 23:31:27|
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