
3月2日に河本家のご主人からお電話が入った。主屋の屋根を覆う茅が軒先で波打ってきているので、サシガヤが必要だがどうしたらいいだろうか、というご質問であった。翌日、松江方面への卒業旅行の途中に立ち寄り、さっそくその状況をみせていただいた。写真にみるとおり、たしかに軒がくねくねしてきている。
それからしばらくして、米子のO工務店から連絡があり、県西部のM町で2m×100mの範囲にススキが群生しているので、研究室で必要ないかと問われ、ただちに河本家のことが頭に浮かんだので、サシガヤの材料にできないか、と思ったのだが、O工務店のつかんでいる情報はまた聞きのまた聞きらしく、今は宙に浮いてしまっている。
それからしばらくして、こんどは但馬のタクオから連絡が入った。山陰中央新報の連載記事<若葉台燃ゆ>にようやく執筆したので、原稿をチェックして欲しいとの依頼であった。その記事が下の「文化財民家の保存と活用」。3月11日に掲載された。昨年の今頃仕上げた卒論「琴浦町(旧赤碕町)河本家住宅の調査と保存活用計画の策定」を圧縮したものである。タクオの卒論といえば、まず金賞(最優秀賞)は間違いないだろうと思っていたのだが、学科会議では古参の教授たちに主導権を握られ、あえなく銅賞に沈没して悔しい思いをした。ある若い助教授からは、
「浅川先生が宣伝しすぎたからだ」
と非難された。しかし、今年は審査をオープンな投票制度に切り替えたおかげで、得票がそのまま順位に結びつく結果となり、作品では社長、論文ではピエールが最優秀賞を受賞することになった。わたしは、もちろん、順当な結果だと思っているが、一部の教員は結果に不満らしく、もういちど審査制度を変えるように文句を言っている。
だれだって悔しい思いをしている。韓国に2連敗したイチローは徹夜で痛飲し、荒れ狂ったというではないか。

2台の車で鳥取を出発したのだけれど、河本家にたどり着いたのは1台だけ。なぜかホカノの姿がみえない。
- 2006/03/18(土) 02:00:08|
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