旅程: ヌワラエリヤ→カラワネッラ→コロンボ(泊)
ラブッケリエ・ティー・センター、カテキトラ村マリアマン・ヒンドゥー寺院、像の孤児院、ヤックル村サタラ・デヴァラーヤ寺院(ヒンドゥー&仏教)

昨夕、グランドホテルのバイキングで、3回めの席を立ち、メインディッシュを皿にとって席にもどった瞬間の出来事であった。背後から、細身の美しい日本人女性が近づいてきて、
「すいません、お気遣いいただきまして。ご厚意に添えませんで・・・」
という。
「えっ、なんのことですか? アイツが何か言ったんですか?」
彼女はただ笑みを湛えている。
その女性はもちろん一人でスリランカを旅しているわけではない。タイプのよく似たもう一人の女性との二人旅なのだが、初日からあちこちでニアミスを繰り返していた。彼女たちはJ社、わたしたちはN社のツアーなので、旅程はもちろん違うのだが、スリランカの受け入れ機関が同じ国営のツーリストなものだから、行く先々で顔をあわせることになったのである。二人とも細身で、ポニーテールがよく似合い、丈の短いパンツからはみ出した足に白いスニーカーを履いている。いかにも東京の女性という匂いがする。
だれより騒いでいたのは、通訳のスサンタさんだった。日本生活の長かったかれは、日本の女性が大好きで、豊富な女性体験を車のなかでずっと話し続けていた。ところが、同行していた某学生も秘めた想いを抱きはじめていたようで、
「あんな綺麗な女の人は見たことがありません」
と口ばしる。嫌な予感がした。

その彼女たちと一昨日からホテルまでもが同じになった。一昨日はアマヤ・ヒルズというホテルで、夕食の際、学生がバイキングの料理をとりながら、背が高いほうの女性と会話しているのが目に入った。テーブルに戻ってきたその学生は、会話が成立したことに驚喜している。その後、その女性がテーブルに近づいてきたので、わたしも少しだけ話をした。
「お二人のガイドさんは、こちらのガイドさんの部下らしくて、情報が筒抜けのように入ってきますよ・・・」
その女性は、「えっ、そうなんですか」という顔をしてみせた。
しばらくして、彼女たちのガイドがわたしたちの席にやって来た。
「今日は友人の誕生日なので、隣のバーで飲みましょう。彼女たちも誘いますから、先生も来てください。」
というお誘いをうけた。学生は部屋に戻ると、買ったばかりの民族衣装に着替え、意欲満々でバーに出かけていった。わたしにはデジカメ・データの整理とブログ原稿の執筆という責務が残っていた。それに
「彼女たちは来ない」
という感が働いていた。はたして1時間後、学生は部屋に戻ってきた。
「先生の予感どおりでした」
昨夜、グランドホテルのレストランで、
「お気遣いされませんように」
と背後から語りかけてきたのは、背の高いほうの女性であった。学生はわたしが席を立っている間隙をぬって、彼女たちのテーブルに行ったらしい。勇気のいる行動ではある。
「何をしゃべったんだ?」
と問いつめていたその時、プレートに料理をのせた彼女がバイキング・テーブルから戻ってきて、もう一度、
「お気遣いされませんように」
とわたしに語りかけた。学生は、彼女たちに飲み物を薦めたのだという。1杯めは自分たちで注文しているから、「おかわりの2杯目はどうですか」と聞き、
「先生がご馳走するとおっしゃっています」
と付け加えたらしい。それを丁重に断られて、学生はめげている。正直、わたしもめげた。呆れてしまった。

今朝も、同じレストランで朝食をとった。もちろん挨拶はしたが、これ以上接触しても傷は深くなるばかりだから、「早く食べろ!」と指示して部屋に戻った。ところが、チェックアウトのためにフロントまで降りると、スサンタさんがニコニコしている。スサンタさんは、彼女たちからのことづけものを預かっていたのである。袋の中には日本のお菓子が詰まっていた。
それから1時間後、ラブッケリエ・ティー・センターに着くと、彼女たちは売店に付設されているティールームで紅茶を飲んでいた。こんどはわたしの出番であった。とり急ぎ彼女たちのもとに足を運び、
「お気遣いされませんように・・・」
という御礼の言葉を述べて、あとは学生にバトンタッチした。学生は象の絵がプリントされた可愛らしい布袋を売店で二つ買い求め、彼女たちへのお返しにしたという。
それから「象の孤児院」で昼食をとった。レストランは川縁にある。食後、傷ついたり、目のみえない象、あるいは親から離れてしまった子象が続々と川にやってきて、70頭の象が集団で沐浴するようすをみた。彼女たちは別の棟で象の水浴びをみていた。
「挨拶に行かなくていいのか? ひょっとしたら、これが最後だぞ・・・」
と訊くと、学生は
「もういいです」
と、すこし淋しそうに答えた。
スリランカの案内人たちは、学生をたきつける。彼女たちはプレゼントに喜んでいる、まんざらでもない、というような楽観論を吹聴するのだが、わたしは何度も「期待してはいけない」と諭した。どうせ2日後には別の飛行機に乗って離ればなれになるのだから、ここでがんばっても仕方ない、
「所詮は諸行無常さ」
というのが冷めた教師の意見であった(自分が若かったら、自爆覚悟でアタックしただろうが)。
それから一路コロンボを目指した。ただ、スサンタさんの薦めもあり、途中、国営ろうけつ染めの店に立ち寄った。わたしはワンピースを買い、学生はランチェオン・マットを買った。そして、店を出ようとすると、彼女たちが店に入ってきた。むこうのガイドが駐車しているわたしたちの車をみて、急遽、立ち寄ることにしたのだという。
スリランカ人は、またしても学生をたきつける。
「住所や名前を交換しておいたほうがいい」
「あなたの名前だけでも名乗りなさい」
「そうだ、記念撮影をしよう!」
彼女たちは自分の素性を明かすことはなかったが、記念撮影の誘いに応じてくれたという。わたしだけはずっと車の前の軒下に座り込んで、その喧噪から遁れていた。ただし、運転手のチャミンダさんにデジカメをあずけ、撮影方法も伝授した(シャッターを押すだけ)。撮影後、騒ぎが収まらないまま、みな車に乗り込んだ。デジカメが手元に戻ってきたので、どれどれ、と画面をチェックした。
ところが、記念撮影の映像が残っていない。
「フラッシュが光りませんでした・・・」
と学生は言う。どうやらチャミンダさんの失敗みたいだ。
今日のホテルは別々である。
↑ダンブラ石窟寺院でのニアミス
↑↓カテキトラ村マリアマン・ヒンドゥー寺院
夕食後、コロンボ・ヒルトンの1室にドナルド・ガミニティリケさんが尋ねてきた。ここ2年ばかり報告書のお世話になっているF印刷の西上さんの親友である。ガミニさんと西上さんは千葉大の同窓生。ガミニさんは56歳だが、40年間も日本に滞在し、2000年にスリランカに戻ってきたという。鳥取には20回以上も来たというから驚きだ。来年また来鳥するかもしれない、とのこと。
- 2006/03/28(火) 23:16:04|
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