旅程: コロンボ→(帰国)
スリ・カイラサナタール・スワニーデヴァスタナム(キャプテン・ガーデン・ヒンドゥー寺院)、ガンガラーマヤ・シママラカヤ水上寺院、アショカラーマヤ・ティンビリガスヤヤ仏教寺院、独立記念堂、国立博物館、スサンタさんの家
↑↓キャプテン・ガーデン・ヒンドゥー寺院
↓山車
とうとう帰国日になってしまった。コロンボ・ヒルトンという最高級ホテルに泊まったおかげで、昨夜からようやくネットに接続でき、日本の身のまわりで起きている大きなうねりを知った。今日の午前中まで、その対応に追われた。
11時から市内に出た。今日の目的は仏教寺院とヒンドゥー教寺院の視察である。最初に訪れたのは、キャプテン・ガーデンにあるヒンドゥー教の寺院。前から疑問に思っていたことがあったので、スサンタさんに尋ねてみた。
「シンハラ人はヒンドゥー教を信じていないんでしょ?」
「いや、信じてます。」
「えっ、仏教から改宗するんですか?」
「いやいや、ヒンドゥーのお寺は、日本の神社のようなものなんです。仏が助けてくれないときには、神様にすがるしかないでしょ。そういうときには、ヒンドゥーのお寺にお参りするんですよ。」
「そうですか。でも、タミル人は仏教を信じていないでしょ?」
「タミルはヒンドゥーからクリスチャンに改宗する場合が多いのね。仏教徒になる人は一万人に一人もいないです。」
↑↓ガンガラーマヤ・シママラカヤ水上寺院(ジェフリー・バワ設計)
↓ヒンドゥー教のガネーシ神
次に訪れたのは、池に浮かぶガンガラーマヤ・シママラカヤ仏寺。仏説阿弥陀経の「極楽浄土に七宝の池あり。・・・上に楼閣あり」を彷彿とさせる水上仏寺である。日本の場合、平等院鳳凰堂に代表される浄土伽藍は水に浮かぶように見せているだけで、水上に浮かんでいるわけではない。ただ、天平の時代に阿弥陀経を篤く信仰した光明皇后を追善供養するために建設された法華寺阿弥陀浄土院の建物は池水に浮かんでいたことが発掘調査によりあきらかになっている。
ガンガラーマヤ・シママラカヤでは、仏堂の外に大きなテラスが作られ、中央に菩提樹を植えており、その根元に釈迦仏を安置している。ブッダガヤでの釈尊悟りの姿を再現したものであることはいうまでもない。その全体を小さな仏像が囲いこんで菩提樹と釈尊を荘厳しているのだが、四隅にはヴィシュヌ、ツカンダ、ガネーシ、ガバールというヒンドゥーの四神を配している。あきらかな「神仏習合」をここに確認できた。なお、この仏寺はスリランカで最も有名な建築家、故ジェフリー・バワの作品である(マヤ・ヒルズや独立記念堂もバワの設計)。
3つめに訪れたアショカラーマヤ・ティンビリガスヤヤ仏寺は、ヒンドゥーとの「神仏習合」に加えて、コロニアル様式の要素まで入ってくる。というか、本堂をはじめとする殿舎は外観上、植民地建築以外の何物でもない。こういう欧化したお堂におさめられて、仏さまたちはさぞかし居心地が悪いだろう、とも思うのだが、考えてみれば、仏像はほんらい石窟に祭られていたものだから、中国や日本で木造建築の内部におさまった当初の感覚も居心地が良いはずはなかったであろう。
アショカラーマヤ寺の内部はものすごく派手に飾っている。どうみてもヒンドゥーの影響だろうと思い、さらに細かく観察したところ、むしろキリスト教会っぽい装飾のように見えてきた。門のまわりを飾る人物像の顔も、同じ印欧語族とはいえ、シンハラ人よりもヨーロッパ人に近いような気がする。
「文化三角地帯」とはかくも異なる仏教寺院が、植民地都市コロンボに展開している。
↑↓限りなく教会に近いティンビリガスヤヤ仏教寺院
夕方、コロンボ空港に向かう途中、スサンタさんの自宅におじゃました。ひろびろとした芝生の庭と車2台を収納する大きな駐車場。一台はプジョーのクラッシック・カー。50年前の年代物だが、時速100㎞は出るという。家族は奥様とお嬢さんの3人ぐらし。スサンタさんのお家に比べれば、わたしの下宿などスラム宿のようなものだ(自分が整理整頓しないのが悪いのだけれど)。どうして日本人は、こういう暮らしができなのだろうか。


- 2006/03/29(水) 23:12:54|
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