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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

庭園にみる唐様と和様

  「東院は遠いんです。」
 なんど言ったかわからない親爺ギャグである。

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 そもそも平城宮は「方八町」、すなわち1辺約1㎞四方の平面だと思われていた。国道24号バイパスの付け替えにともなう試掘調査により、東に張り出し部分があることがわかったのは半世紀前のことである。藤原宮→平城宮(副都「難波宮」)→長岡宮→平安宮とつづく古代都城の宮域のなかで、こういう張り出し部分をもつのは平城宮だけ。なぜ東院のような張り出しが平城宮に存在するのか諸説あるけれども、わたしの考えは以下のとおりである。

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↑↓反橋と築山(仮山)20060409144649.jpg

 7世紀の終わり、天武天皇の時代に藤原京の都市計画が練られた。しかし、このころ日本と中国は国交断絶の状況にあり、日本は中国長安城の直接的な情報をもっていなかった。このため藤原京は、中国の儒教古典『周礼(しゅらい)』考工記にみえる理想都市の記載をできるかぎり反映させるように計画され、宮域も正方形平面で宮城十二門の制を採用した。8世紀を迎え、唐との国交が修復され、702年に数十年ぶりの遣唐使が派遣され、かれらは2年後に大和に戻ってくる。
 遣唐使たちは、見てしまった。長安城の真の姿を目の当たりにしたのである。当時の唐は則天武后が支配していた。粟田真人ら第7次遣唐使のメンバーは、長安城の執政府であった大明宮の麟徳殿で則天武后に謁見している。麟徳殿に至るには、大明宮の正殿たる含元殿を経由しなければならない。少なくとも、遣唐使たちは含元殿の威容を遠望したに違いない。なにより、かれらは長安城の執政府は太極宮ではなく、大明宮にあることに驚いたはずだ。

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↑↓「曲水の宴」で盃を流す龍排渠20060409144744.jpg

 遣唐使たちは、実際の中国都城と藤原京の違いについて、帰国後ただちにその実態を天皇に上申したことであろう。結果、平城京遷都が決定された。その平城京は、もちろん唐長安城を強く意識したものであったのだが、その一方で藤原京の伝統もうけつぐ2重構造の都城として成立した。都城の中枢部である宮域において、その2重構造は鮮明にあらわれた。宮城の正門たる朱雀門の正面には、唐長安城大明宮含元殿地区を強く意識した「西の大極殿・朝堂院地区」、脇の壬生門の正面には藤原宮の中軸部をそのまま遷した「東の大極殿・朝堂院地区」が並立することになったのである。二つの「大極殿・朝堂院地区」の面積は広大であり、藤原宮の内部に存在した諸施設が平城宮の内部には納まりきらなくなった。その結果、「東院」という張り出し部分が必要になったのではないか。平安宮では平面を縦長長方形に改め、面積不足を修正している。平城宮は藤原宮(正方形)から平安宮(長方形)に至る過渡的形態として、凸凹のL字形平面を呈していたのだと理解してはまずいであろうか。

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↑↓北からみた東院庭園隅楼 ボーリング場の看板が借景になっている。中央建物越しにみれば、借景は消える。
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 『続日本紀』によれば、平城宮の東院地区は「東宮」「南苑」「楊梅宮」とも呼ばれ、宴会に関する記載が少なくない。東院の東南隅で発見された庭園(東院庭園)も、おそらくそういう宴遊と関係が深かったものであろう。ちなみに、東院庭園も唐様式の影響を強くうけたものであった。7世紀の庭園が方形の池を中心とするいくぶん無愛想な姿を露呈しており、それが中国的で、8世紀の東院庭園にあらわれる曲池を中心とする庭こそが日本庭園の出発だと言ってはばからない庭園史家が少なくないけれども、唐との国交が回復した8世紀の庭園こそが中国的であり、それが日本庭園の源流になったという説明の仕方をしないのはおかしい。日本の寺院建築が8世紀までは「唐様」であったにも拘わらず、平安時代以降に国風化が進み、鎌倉時代の南宋様式受容の反作用として「和様」と呼ばれるようになったのと同じ概念の変化が庭園においてもあったということに気づくべきである。


 
 復元建物は平面のよく似た奈良・平安時代の建築をモデルとして再建する。下の北東建物は、法隆寺食堂にならった。妻壁では二重虹梁斗、内部では叉首組。

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 このほか、池に張り出す中央建物は法隆寺伝法堂前身建物、隅楼は平等院鳳凰堂隅楼をモデルにした。


  1. 2006/04/09(日) 12:46:18|
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