1トントラックに載せて 2004年5月25日の朝、岡村とヤンマー(山本)とわたしの3人は鳥取市内で1トントラックのレンタカーを借り、米子に向けて出発した。3人乗りとは言うものの、座席は2席しかない。座席と座席の間はシート貼りにはなっているが、クッションが弱く、座ればたちまち尻が痛くなる。もちろんわたしが助手席を占領した。岡村とヤンマーが交替々々に運転し、交替々々に尻の痛い中央シートに座った。臀部に鈍痛を感じるものの、空は快晴。晴れた日の日本海は言語を絶するほど美しい。海と空が一つになった海岸線の景色を貫くように、車は快適に国道9号線を西に蛇行していった。
米子に着いて昼食を取り、午後1時にM工務店を訪問した。取締役の松本さんとは、旧知の間柄である。取締役と言っても、じつのところ社員は松本さん一人であり、M社はもっぱら大手工務店の下請けを業としている。なぜわたしが松本さんと親しかったのかといえば、それは妻木晩田遺跡の復元事業に二人が係わっていたからである。砕いていえば、わたしは妻木晩田遺跡の洞ノ原地区に建設されている竪穴住居や高床倉庫の復元を指導し、松本さんはその施工に2年連続で携わってきた。そういう関係だったのである。

工務店の廃材置場に着くと、廃棄物予備軍の一部に妻木晩田復元建物の余材も含まれていた。垂木となるはずであった栗の棒材が数本散らばっている。栗は堅くて湿気に強い木材であり、使い勝手のある美味しい材料だ。ほかにも、いろんな材が廃棄直前の状態で山積みされていた。波形ビニール板、トタン、木目調鉄板、樋、棟覆など、なんでもある。もちろん放置されて久しいので、材はみな汚れていて、悪臭を放つものさえ含まれていた。しかし、この廃材がわれわれにとっては宝物であった。工務店の廃材置場はまさに「宝の山」であり、われわれは血相を変えて、廃材をトラックに積み込んでいった。2ヶ所の廃材置き場をめぐり、1トントラックに積める限界まで廃材を積んでシートを被せ、ロープで縛った。
帰学後しばらくして、岡村は集めた廃材の整理にとりかかった。まずは汚くて、臭い廃材の洗浄である。実験棟の横の水場で、岡村はひとり黙々と古材を洗い続けた(まれに下級生も手伝っていたが、ほとんどの仕事は岡村が片づけた)。つぎに岡村は廃材の「部材シート」を作りはじめた。「大工になりたい」という職人気質からは想像し難いけれども、岡村には研究者的な資質を覗わせる側面もあった。ランダムな要素を網羅的に整理し、配列しなおす作業は一種のタイポロジーであり、自分に与えられた条件の全体像を把握するには必要不可欠の途である。岡村は、わたしの指示をうけない状態で、その作業に移行していった。「部材シート」には、各廃材の名称・分類、樹種、寸法などが書き込まれ、デジカメで撮影された写真が貼り付けられていった。ちなみに、このデータ整理に用いたソフトはイラストレータである。

一方、「Tree House に挑戦!」プロジェクトのほうも、裏山の敷地選定、建物のエスキス、材料とする竹や雑木の伐採を経て、5月下旬からいよいよ着工を迎えようとしていた。ツリーハウスの建設プロジェクトの背景が「大人になれない子どもたち」の心をくすぐる好奇心にあることはすでに述べたとおりだが、技術的にみた場合、それはあきらかに「廃材でつくる茶室」の前哨戦として位置づけうる。
まず、ツリーハウスの建設においても、もちろんのことだが、
「材料を買ってはならない」
ことを大原則とした。建材として利用できる材料は、廃材もしくは裏山に自生する竹や雑木に限る。そして、もうひとつ、
「木材や樹木の接合に釘・ボルトなどの金物を使ってはならない」
という規律を徹底することに決めた。以上の2点が、ツリーハウス建設における鉄則であり、だれもこの禁を犯せない。
この背景には、アメリカ人のツリーハウス建設に対する失望の念が絡んでいた。アメリカで出版されているどんな指南書を読んでも、樹木と建材の接合にあたって、必ず生木にボルトをねじ込むように指示している。伐採・乾燥され、加工された木材相互の接合ならいざしらず、大地に根を下ろし生命を育む樹木にボルトをねじ込んで心に傷みを感じないのは、その主体がアメリカ人だからなのだろうか。それは、アメリカ人の国民性を示すものなのだろうか。草木虫魚すべてに精霊が宿るというアニミズム、生きとし生けるものみな慈悲をもって接せよという仏陀の教え、そういうアジア的精神世界の中で生まれ育ってきたわたしには、生木にボルトを打ち込むことなどとてもできない。
さて、金物を一切使わずにツリーハウスを組み上げる方法としては、まず第一に横材をうけるに足る股木をもつ樹木が密集している場所を選ぶことが肝要である。しかし、裏山をいくら歩きまわっても、それほど条件の良い場所は存在しない。なぜならば、かりに太径木が密集していたとしても、股木の高さはまちまちであり、横木を水平に通すことが容易ではないからだ。そこで、頼りになるのは「縄結び」しかないことに、ようやく気づくのだが、木材と樹木を縄結びで緊結する方法ははたしてあるのだろうか。かりにあったとしても、その方法をどうやって学べばよいのだろうか。しだいに、うっすらと金物に対する憧憬が頭をかすめるようになり、しかしながら、決してそれに身を委ねてはならないという心の揺れにとまどう自分がいて、この先どのように学生を指導しようかと悩んでいた矢先、救世主があらわれた。それは、ほかならぬプロジェクト研究のメンバーであった情報システム学科の一年生。大工の父親をもつという女子学生であった。
(続)
- 2006/05/28(日) 01:34:42|
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