晴の日には晴を愛し、雨の日には雨を愛す・・・・・
昨夜、ネットで天気予報を確認すると、鳥取県東部の降水確率は70%。今日の3・4年ゼミをどうしようかと悩んだのだが、中国山脈の雨の風情も捨てがたいので、深夜、学生たちに「雨天決行、車と傘を準備せよ!」という指令を発した。
今日の案内役はノビタ。いまや研究室に住み着いた野良猫のように、存在感を増し続けるノビタである。なぜ、ノビタを案内役に指名したのかというと、いうまでもなく、中近世の城と城下町にとても詳しいからだ。以下、かれが作った資料から抜粋する。
若桜の鬼ヶ城は、正治二年(1200)、駿河国矢部氏によって開かれた。天正三年、尼子勝久・山中鹿助らの尼子軍に矢部氏は滅ぼされたが、同年七月、毛利氏の尼子軍一掃が始まり、最終的には吉川元治により落城。その後、羽柴秀吉の因幡侵攻によって吉川勢も敗走、荒木氏が城主となるが、関ヶ原戦で西軍に与してしまい、自害。以後、山崎家盛が入封し、城の大改修と城下町の整備に着手したが、元和二年(1615)の「一国一城令」により、翌三年に廃城となった。
問題は、「一国一城令」以前にどの程度の城下町が形成されていたのか、そして現在の若桜の町がどれほどその骨組を継承しているか、なのだが、現状では城下町の痕跡を明快に看取できるわけではない。若桜の街並みは、街道に沿う近世の「宿場町」の姿をとどめるものであり、中世的な鬼ヶ城と無縁ではないにせよ、どこまで「中世城下町」の姿をとどめるのかは微妙であり、注意を要する。2週間前に訪問した倉吉もこれと同じで、中世城郭としての打吹城と「陣屋町」として発展した現在の市街地には連続性もあるだろうが、一定の懸隔を読みとらなければならない。
大学出発後、まず「若桜駅」を訪れた。奈文研時代に調査した、懐かしい近代化遺産である。それから蔵通り=寺通りを散策。寺の境内から鬼ヶ城を望む(写真上)。小路をすり抜けて街道にまわり、町家の軒下を徘徊した。そして、車で不動院岩屋堂に移動(写真下)。学生諸君は「天気が良ければ・・・」と思ったことだろうが、わたしには雨の鬼ヶ城と岩屋堂のほうが新鮮だった。雨に濡れた重たい肌合いから、歴史の深層が滲みでてくるような幻覚をおぼえるからだろうか。


キムラャさんの感想
若桜に行くときは
雨の確率が高い。でも今回の雨は許します。
城について考えた事はあまり無いように思う。大まかに考える事はあるが。「コグチ?コグチって材の断面?これしか知らないんだよ。」音でしか理解できなかったので仕方ない。ノビタ氏の回答で納得した。虎の口で虎口(コグチ)と言って、城の出入り口のことなのですね。なるほどね。若桜鬼ヶ城には行き止まり虎口があったそうです。なかなか敵にとっては迷惑なトラップだったと思いますが。
不動院岩屋堂も久しぶりに訪れた。最近、高欄から下の部分に目が行く。なぜでしょうか。思い当たる節はあるのですが言いません。何でも、ある特定の物に着目するとおもしろい。
- 2005/07/01(金) 17:57:03|
- 建築|
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コメント:2
城下町を知る上で、手がかりの一つに山下ノ丸の存在があります。これは鳥取城にもあります。山下ノ丸は簡単に言うと、山頂では政治や住まうには不便なため、機能を山麓に移したもの、山城の山麓にある曲輪の呼び名の一つで、鳥取城で言う二の丸などです。若桜鬼ヶ城では、その山下ノ丸に相当するものがどこにあったかと言うと、現在の若桜中学校周辺にあり、小泉友賢によれば、構ノ内と(御構とも)呼ばれていたそうです。他にその周辺に古枡形と枡形言われる構造物があります。前者は現在の若桜警察署にあり、後者は天保14年の古図に外枡形虎口のような遺構が確認できるそうです。御構が大手口方面であった可能性として木下(荒木)氏の遺構の鶴尾山より北北西、北、北北東に連郭式に築かれている縄張です。その縄張を北北西と北との谷を下れば若桜中学校に着きます。これは私見ですが、大手口を強化する目的で構築されたと思われます。木下(荒木)氏によって、構ノ内が出来、それを中心に家臣団の住まいが作られ、そして商工人の町割りがなされていったのではないかと思います。
- 2005/07/05(火) 18:19:45 |
- URL |
- ノビタ #uaP3n7Y.
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倉吉町家報告書のためにいろいろ文献を漁っていて、いくぶん城下町の解体について理解できるようになってきた。中世の打吹城と城下は尼子軍によって灰燼に帰したが、しだいに復興が進み、天正のころには再び都市性の萌芽を読み取れる。元和の「一国一城令」以降、倉吉は池田家の重臣・家老が支配する陣屋町となったが、枡形や食い違いなどの街路パターンからみて、中世城下町の構造を基盤としていたとみてよいのではないか。若桜の場合も、枡形が残存しており、中世城下町の構造を継承しつつ、近世の宿場町に変貌を遂げたプロセスを読み取れる。
- 2005/07/05(火) 19:48:44 |
- URL |
- asax #90N4AH2A
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