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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

回想「廃材でつくる茶室」2004-2005(Ⅶ)

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波形ビニール板のリサイクル
 そのとき、岡村はすねたような顔をしてみせた。
 6月中旬になると、垂木掛けも終わりに近づき、次なる工程として屋根葺きが待っていた。いったいどうして屋根を葺こうか、しばし思案にくれたのだが、わたしは決断した。米子のM工務店から集めてきた波形ビニール板を、
  「ツリーハウスの屋根材として使う」
と学生全員に宣言したのである。岡村は「えっ」という声を出して、表情を曇らせた。言葉には出さないが、岡村は不満だった。それはそうだろう。自分がトラックに乗って米子まで行き、工務店の廃材置場から集めてきたビニール板である。臭くて汚くてどうしようもなかったビニール板を、ほとんど自分一人でごしごし洗って使えるようにしておいたのは、後期から始まる卒業研究=「廃材でつくる茶室」のための準備にほかならなかったからである。
 しかし、教師はさらに強欲な姿勢をみせ、「棟を覆う鉄板の材もツリーハウスに使う」と言い出した。岡村は、「冗談でしょ!?」という顔をしてみせたが、やはり、それを口に出すことは決してなかった。日本人の奥ゆかしいところである。文化人類学者エドワード・T・ホールの用語を借りるならば、それは日本人特有の「沈黙の言語」であって、日本人はイエス/ノーを口には出さないが、身振り・素振り・目線・表情などの身体表現で自分の意見を訴えており、日本人同士ならば、言葉なしのコミュニケーションが可能だということに異国の民は驚くらしい。こうみえて教師も、いちおう日本人なので、寡黙な岡村が隠れた次元で主張する心理を読み取れないわけではないのだが、わたしは敢えて、
  「ビニール板と屋根覆い鉄板は両方ツリーハウスに使う」
と念を押した。工程上の余裕は限られていたからである。週に1回程度の活動で、工期はあわせて14週(半期)。岡村の寛容さに頼らざるをえないのが実情であった。しかし、かくして、ようやくツリーハウスに「リサイクル」のコンセプトが取り入れられることになったのであった。

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 そうこうしているうちに、岡村は7月から1ヶ月間、鳥取を離れることになった。就職活動の一環として、京田辺にある数寄屋大工の工務店で修行するためである。
 2004年6月30日、岡村の歓送会を4年男子とともにおこなった。当日の日記を紐解くと、夕方から飲み出して、飛鳥→MOBS→ゴスペル→ローソン→ラーメンと粘っている。これは何故かというと、深夜3時半からユーロ2004の準決勝「ポルトガル対オランダ」がWOWOWで生放送されるためであった。WOWOWが映るのは我が家だけであり、岡村、タクオ、ヤンマーの3人は弥生町の盛り場から田園町の宿舎に移動した。
 ところが、ここで異変が生じる。おかしくなったのは、ゴスペルという店でスピリッツを飲んでいたときのことだ。じつは岡村は週に2回ほど、このジャズ喫茶でアルバイトをしていて、わたしたちもしばしばこの店を2次会や3次会に利用していた(今は休店中)。ゴスペルで岡村の携帯が鳴り、店の外に出ていった。そのまま帰ってこない。いつまで経っても帰ってこないので、細谷が外に出て様子をみて戻ってきた。
 事態は深刻らしかった。その深刻さは、我が家に移動しても継続していて、他のメンバーはWOWOWにかじりついたり、眠ったりしているのに、岡村は屋外に出て、ずっと携帯で話し続けていた。その詳細について、ここでこれ以上描写することはできない。蒋介石を西安で拉致した張学良が、死ぬまで「拉致した理由」について語らなかったように、わたしもこの事件について死ぬまで口外するのはやめよう。ただ、ヒントは写真の中にある。

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 屋根葺きには、想定外の苦労があった。平面が長方形で、屋根が左右対称の切妻造なら問題は少なかったのだが、平面は台形を歪めたような長方形なので、屋根は左右非対称で、形もいびつになっている。したがって、設計図によって葺き材の寸法を決めることができない。なんども仮り組みをして、葺き足やら接合部分を確認しつつ、電動ノコで波形ビニール板を切断していった。ここで活躍したのは、工具を大量にもっていた細谷である。
 さて、屋根の材料は波形ビニール板だが、その葺き方には樹皮葺きの手法を応用することにした。ただし、木舞(桟)を垂木の上にのせることはやめた。厳密に言うと、軒の垂れ下がりを防ぐため、軒木舞のみ通して垂木の軒先に縄結びしたが、他の位置では、あらかじめ木舞にあたる黒竹を波形ビニール板の下面につけておいた。じつは、この手法は大学院修士課程のころ調査したミクロネシアのトラック諸島で用いられている椰子葉葺きの手法にヒントを得たものである。板状にした葺材ユニットの下面上端に木舞(黒竹)を結びつけておき、そのユニットを下側から垂木上に置く際に木舞を垂木に結びつける。さらに木舞の直上に黒竹をおいて、上下の黒竹でビニール板を挟み込むようにすると安定感が増す。現場あわせしながら、左右の葺材を屋根面に重ねていけば、あとは棟の雨仕舞いだけ。これも、M工務店で採取してきた棟覆いの鉄板をかぶせることによってあっさり解決した。  (続)

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  1. 2006/06/07(水) 04:27:25|
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