火曜日の日課は校正だ。年度末に入稿した3冊の報告書のうち、2冊は先週刊行したのだが、『河本家住宅』だけは5校に及んで未だ校了に至らない。本文の直しも多かったが、グラビアや図版の差し替えが尋常ではなかった。富士印刷の西上さんには、頭があがりません。下は最後になってグラビアにすべりこんだ矢部勇さんの水彩画(昭和23年)。河本家のご主人によると、矢部勇さんは明治36年、赤碕の生まれで、阪急百貨店図案課に勤務していたが、父の死亡により赤碕の祖父母をたよって戦中、赤崎に帰郷した。昭和27年、50歳で赤碕にて没す。赤崎にあっては、赤碕の風景をたくさん描いたというが、遺族すらその絵を目にすることはなかった。それが数年前、河本家の蔵で発見された。輪ゴムで丸められた状態であったが、いまは河本家により額装されている。
伯耆街道の拡幅によって取り壊された供部屋や塀を描く貴重な画像資料である。
- 2005/07/05(火) 19:58:01|
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コメント:7
初めまして。
何となく調べ物をしていたら、
ここに祖父の名前と絵を見つけてびっくりしました。
この絵、以前父が河本さんからカラーコピーをいただいて、
実家にも飾ってあります。
会うことのなかった祖父を感じられる数少ない遺品でもあります。
こうしてご紹介頂いていること、なんだか嬉しいです。
文章を読ませていただいた感じですと、
「河本家住宅」という本が刊行されているのでしょうか。
今でもどこかで入手することが出来る本ですか?
- 2013/02/14(木) 15:23:56 |
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- 矢部 #-
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コメントありがとうございます。以下の古本屋サイトで4500円で販売していますね。
http://www.kosho.or.jp/book/keyword/%E6%B2%B3%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85?
もう少しお安く入手する方法もありますが、その場合、手続きがやっかいですので、
1)拍手ボタンをクリックし、
2)そのコメント欄に電子メールアドレスをお知らせください。これで個人情報は保護されます。
以上、よろしくお願いいたします。
- 2013/02/14(木) 18:46:01 |
- URL |
- asa #-
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間違いではないと思いますが、お父様は長野県更埴市稲荷山にお住まいのではないでしょうか。私は、7歳年下で、優秀な
お父様が大阪の有名な会社に向け、出発された日に、近所の方がたとお見送りしたこと、はっきり記憶しております。
勇様のことは、以前、92歳の母から何回か聞いております。
大阪で映画の弁士をしておられたと、聞いておりましたので、
絵をお描きになっておられたこと、最近知りました。
赤碕の矢部家には、男性の顔のデッサン画が、かけてあったのをなぜか覚えております。
勇さんのお兄さんの正一さんは、広告デザインの登竜門のような毎日デザイン広告大賞を、昭和11年に受賞されたことは、存じ上げております。
矢部家の斜め向かいに18歳まで住んでいましたので、矢部家の皆様とはお付き合いがあります。
- 2016/01/23(土) 01:13:46 |
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- 新池陽子(佐伯) #-
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久しぶりにブックマークを開いてみたら、新池様よりコメントがあってびっくりしました!
記憶を辿って下さってありがとうございます、父にもそんな若い頃があった事、しみじみ思いました。
ちなみに上でご紹介いただいた本は、実家の父が持ってました。改めまして、情報ありがとうございました!
- 2019/05/06(月) 12:13:17 |
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- 矢部 #QMnOeBKU
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以前、矢部家のことで聞いたことなど、書かせていただきます。
矢部家の隣、「野島歯科医院」の向かいにある佐伯が私の実家です。
大正12年生まれの母の言によると、矢部家は、鳥取の東部
賀露出身で士族とか。
赤碕は、漁港繋がりで賀露から来られた方が数軒
おられるとか。
お父様は、色白で、とても賢い方で、門真市の会社に赤碕中の推薦で行かれ、会社でも大活躍されたと同級生の方から伺っております。
お姉さまもおられたように記憶しております。
)御親戚の正紀様から伺いましたが、勇様の兄の正一様の
絵画3点が大阪市立美術館(天王寺)に所蔵されていて
親族の方のみ、見ることができるそうです。ポスター画もパソコンで見れます
- 2019/05/09(木) 22:06:08 |
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- 新池 陽子 #-
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