
先週木曜日(20日)のプロジェクト研究1&3の最終授業で、イロリはほぼ完成していたのだが、その日の深夜11時、リーダー格のヨリ君から電話があった。
「先生、火棚据え付けの最後段階で、自在鉤の先端がポキッと折れて取れてしまいました・・・・」
たしかにショッキングな出来事であった。加藤家の屋根裏に自在鉤が残っているというので、土間におろして水洗いをしたのが、
4月27日のことであった。 水洗いの結果、自在鉤本体そのものは健全だが、竹は縦の割れがひどく、藁縄も古すぎて断裂していることがあきらかになり、自在鉤を除く他の材はイロリ班が復原的に創作することになった。その自在鉤は黒光して、なんとも古めかしく、民家創建時にまで遡るかどうかは不明ながら、江戸時代から使われていた古材であることは間違いない。要するに、「材料のオーセンティシティ」を保つ唯一の材であり、この再利用がイロリ復原にあたっての大きなテーマの一つであった。
その自在鉤の先端部分は、ほんとうにこれほど細身の鉤に鍋を吊してきたのかと思わせる繊細なものであった。その部分が破損してしまったのだが、考え方によっては作業中に断裂したのは幸運であったといえなくもない。マスコミ公開中、あるいは打ち上げパーティ中にぽろりとちぎれてしまったら、さらにショックの度合いが大きかったろう。

ヨリ君とナオキは、特殊な木工ボンドを購入して、分断された2材を繋ごうとしたのだが失敗したらしく、本日またしても、わたしに電話をしてきた。
3人でカインズホームに行くことにした。破損した鉤の先端はあまりに繊細だから、接着剤ではどうにもならない。内側と外側の両面からギブス状にL字形金物をあててネジ留めするしかないと判断し、おびただしい量の木ネジとワッシャーと金物をみてまわった。使えそうな可能性のある複数の材、そして木工用のアローンαと水道ホースの栓留めも買い込んだから、結構、時間がかかってしまった。
加藤家に着いたら、チャックが玄関をあけて待っていた(どういうわけか、戸主のO城くんは今日も居ない)。自分たちが復原したイロリをみて、ヨリ君は何度も、
「かっこいい!」
を連発した。その、かっこいいイロリを囲んで、ぼくたちはポプラのおにぎりを二つずつ食べた。

それから作業を始めた。まず、木工用のアローンαがすごい威力を発揮した。断裂していた2材がほぼ完全に接着され動かなくなった。しかし、これだけではモノが吊せないので、大型のL字形金物を外側からあててギブスにし、水道ホースの栓留めで絞めたら動かなくなった。おそらく薬罐程度の道具を吊しても、鉤は壊れないだろう。ここに自在鉤の修復は完成した。結果的には、カインズで探しまわった木ネジとワッシャーを一つも使っていない。だから、木材にはいっさい傷がつかなかった。
完璧な修復である。木造建築の修復に譬えるなら、「鉄骨構造補強」のミニチュア版と言える。L字形金物と水道ホースの栓留めによって「材料のオーセンティシティ」が完全に守られ、自在鉤は当初位置に再現された。金属補強材が見苦しいという欠点も露呈しているが、その欠点は「当初材と補強材をはっきり識別できる」という長所の裏返しでもある。

ここで、ついでだから、他の部材の復原根拠・材料等についても整理しておこう。
・イロリ框(かまち): 保木本家住宅(八東)のイロリ框を実測再現。因幡では、框に柿材を使うらしいが、今回は実習使用の余材(杉)を使用した。
・灰床の壁: 鳥取城石垣修復現場の余材(花崗岩)を上月工業のみなさんが切石風に加工してくださったものを採用。
・灰床の下地: 加藤家の庭にあった古瓦を敷いた。
・灰: 環境大学実験棟周辺のバーベキュー焜炉に残る灰をもってきた。
・五徳: 構造実験テストピースの廃材
・自在鉤の竹: 2年前のツリーハウス建設時に伐りだした大学裏山の竹。
・藁縄: 河原町出身のFさんがおばあさんから技術を習得し、それをイロリ班のメンバーに伝授した。
・火棚: いまはなき神護の茅葺き民家で実測した火棚を寸法とおり再現。材料は実習使用の余材(杉)。文献で類例を参照し、黒竹の簀の子を取り付けた。黒竹は雪害によって折れていた保木本家庭園のもの。
着火は25日の午後2時。乞ご期待!

↑灰床の下地になった加藤家の古瓦。
1/30模型も完成間近。1/50の模型では表現しにくい構造の特徴をうまく読み取れる。ケンボーと1&2年生女子の力作である。
- 2006/07/23(日) 22:16:49|
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