
松江市から、田和山の1/10模型の修正バージョンの写真が送られてきた。おもな修正点は、
1)母屋と垂木の木割
2)腰屋根を急勾配に修正
3)追いサス
・梁ではなく、母屋に追いサスを載せることにより、
周提との接地点を外側に出した。
4)入口を外側にのばす
5)側窓
・側窓の垂木を架ける位置を、一段上のモヤにあげる。
などである。じつに良い形になってきている。田和山は昨年の大型掘立柱建物の建設から、工事が非常にスムーズで、出来映えも良好。山頂から宍道湖をみる風景の質が、あきらかに向上した。今年も、いまのところ、安心してみていられる。

現状では、復元建物のレベルにおいて、田和山は妻木晩田に大きく水をあけつつあるのだが、一方の妻木晩田といえば、送付されてきた第7回弥生文化シンポジウムのチラシをみて、また驚いた。わたしやハマダバダらが懸命に作った復元住居を、勝手に修復し、土屋根の土部分をどんどん狭めていっているのである。ようするに土は周堤の近辺にしか残らないようにしているのだが、じつはこの部分にいちばん水が溜まることにかれらは気づいていない。しかも、おそらく土屋根部分の下地に十分な防水処理をしていないから、またおなじ修復を繰り返すことになるだろう。
こういう修復(おそらく昨年度おこなわれたものだ)を、設計指導をしてきた研究者に断りもなく、独断でおこなっているのはなぜだろうか。自分たちで完璧な修復ができると思っているからだろうか。こういう修復を勝手にやって
「土屋根住居は困ったものだ」
という偏見を抱いているからこそ、遺跡上に建てるガイダンス施設や覆屋までコンクリートで作りたくなるわけだ。
一緒に仕事ができるはずはない。
- 2006/08/03(木) 22:30:55|
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