京田辺「心傳庵」での修行 昨夜、午後7時10分着の電車で、岡村は大和西大寺駅にやってきた。あらかじめ南口を出るように指示しておいた。階段を下りてきた岡村は、「お久しぶりです」と挨拶したが、わたしには久しぶりという実感が湧かなかった。たしかに、このまえ会ったのは3月末にさかのぼるけれども、それ以後も虎丘庵などの問題でなんども電話して長話をしていたし、回想「廃材でつくる茶室」シリーズにいくたびも登場してもらっていたから、卒業後一年を過ぎても、なお身近な存在として実感し続けている。
岡村は溌剌としていた。卒業後、面会するのは3度めだが、こんなに明るい岡村に接したのははじめてだ。愚痴らしい愚痴はまったくなく、「仕事が楽しいです」とはっきり言い切った。こんなところで公開してはいけないかもしれないが、岡村の月給は手取り数万円である。1期生のなかで、こんな安月給で働いている卒業生はまずいないであろう。しかし、岡村は数寄屋大工の見習い丁稚奉公だ。数寄屋大工の見習い丁稚奉公の2年目なのだから、この給料は妥当なものだとわたしは思う。棟梁のご自宅に住み込みで3食付き、保険と税金も棟梁が全額負担、それに、と岡村は付け加える。
「お小遣いが出るんですよ。おかみさんとお寺さんが、ときどき若い衆に服でも買ってこいよ、って言って。これが結構いい額でして。それに、夏と冬にはちゃんとボーナスも出るんです」
その科白を聞いて、タクオの顔が頭に浮かんだ。「またこの夏もボーナスが出ませんでした」とこぼしていた顔である。ちなみに、うちの長女が働くデザイン事務所にもボーナスはない。

2年前の7月24日、
ツリーハウスの打ち上げ を終えた2日後だった。わたしは京田辺の「数寄屋研究所 心傳庵」に、研修中の岡村を訪ねた。奈良の自宅から一休寺までは車で20分ほどで着く。岡村は、あの日も門前まで迎えにきてくれた。まずは木下棟梁にご挨拶して長話になり、夕方、食事に出ようということになったのだが、岡村はどうしてもアパートに来てほしい、といってきかない。岡村は、職場の先輩が借りていた2DKのアパートに同居させてもらっていた。同じアパートには、東南アジア系の出稼ぎ女性たちも住んでいるようだった。水商売をする女たちのタコ部屋であり、岡村の生活も飯場暮らしに近いものだった。岡村がなぜわたしをアパートに案内したのか、その理由については語れない。当時の岡村が抱いていた不安のあらわれであったと述べるのが限界である。
それから、二人で近鉄電車に乗って大和西大寺に移動した。
西大寺はもちろんわたしの島だ。14年間、ここで働き、ここで遊んだ。だから行きつけの店が多いか、と言えばそうでもない。正直なところ、いい店はあまりない。弥生町のほうがまだマシだと書けば、だいたい察しがつくであろう。それでも行きつけの店はもちろんある。西大寺の北口を降りて、まずは「きんしゃい、きんしゃい」という居酒屋に向かったのだが、その居酒屋は消えていた。呆然とした。ひょっとしたら、わたしは数少ない収入源であったのかもしれない。仕方がないから、南口の国見小路にまわった。ミニ開発の2階建てテナント建物に挟み込まれた細道を小降りのアーケードで覆った飲屋街で、ここに「エリントン」という行きつけのジャズ喫茶がある。まず、エリントンの隣に新装開店していた韓国料理の店に入った。
結構おいしい創作料理の店であった。ここで、マッコリと焼酎を飲みながら、話を聞いた。愚痴が多かった。この職場にお世話になるべきかどうか、悩んでいる。
「毎日、カンナの歯ばかり研いでいます」
あたりまえのことだと思うのだが、おそらく、見知らぬ人間関係の中で神経をすり減らしていたのだろう。韓国料理のあとは、エリントンに移動。最終電車のぎりぎりまで酒を飲み、話をした。このとき、岡村はすっかりママに気に入られてしまった。ママは本気で岡村の就職先について思案しはじめ、後日、鳥取にまで「こんな話があるよ」と電話をしてきた。

じつは昨晩も、同じ韓国料理→エリントンのコースで飲もう、と思っていたのだが、韓国料理屋は貸し切りで閉め出されてしまった。仕方がないから、近くの居酒屋に入ったのだが、韓国料理に対する愛惜の念がやまず、その居酒屋でチゲ鍋とニンニク丸焼きを注文した。おかげで、エリントンに移動しても、ママはあまり近寄ってこない。二人から発せられた昨晩のニンニク臭はそうとう強烈なものであったろう。
それにしても、岡村は溌剌としていた。修行中からこの春まで、会えば必ず愚痴めいた発言がみられたのに昨日はそれがまったくない。むしろ、研究室の後輩をスカウトしたくて仕方ないようだった。岡村は、今晩、盆休みのためバスで帰省したはずだが、明日か明後日、加藤家にO城くんを訪ねることにもなった。
「あのイロリ、すごいですね! とくに鳥取城の石が・・・・」
岡村は毎日かかさずこのブログをみていて、研究室の情報をしっかりおさえている。7月のアクセス総数が7000件を超えたことを教えてやったら、目を見開いて驚愕していた。(続)
- 2006/08/12(土) 23:34:05|
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