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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

Mr.エアポートの様式分析 -フエの紫禁城太和殿

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 ベトナムの朝陽は強烈に熱い。すがすがしい朝を迎えるためには、早朝5時に目が覚めるチャックのようにならなければならないだろう。今日はドンバー川に並ぶ家船の配置や艘数を午前中に調査し、午後からフエの旧市街地にある紫禁城(グェン朝王宮)を見学した。
 紫禁城に到着し、まず我々を迎えたのはコ字形平面をもつ闕(ケツ)すなわち王宮門である。この王宮門は門道を覆う基台(石畳敷)上の重層式中国風の建物で、上に登ると、正面にたつ太和殿の規模を確認することができる。

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 フエ紫禁城の太和殿にはいろいろな様式が入り交じっている。全体の構造形式は、昨日報告したティエンムー寺の仏堂と同じく、裳階付きの双堂で、内陣と外陣の屋根境には大きく派手な樋がついている。日本では、平安時代以降、双堂を大きな野小屋で覆い、一棟に納めるようになるが、中国や東南アジアでは、野小屋は発明されず、双堂のまま現在に至っている。
 また、柱には礎盤が用いられ、禅宗様との共通性を示している。一方、軒には大仏様の要素も色濃い。非常に長い二手先の挿肘木は大仏様のそれとよく似ているが、手先方向の長さがあまりにも突出していて、二手の挿肘木を支えきることができず、石柱で下から支えている。さらに、通肘木にも似た軒桁を用いており、組物が横に広がるのを抑えている。また、垂木先を彫物のされた鼻隠し板で覆っている。
 しかし、太和殿の内部に目を移すと、小屋組には土着的な登り梁構造を採用していることがわかった。この様式はベトナムの民家でも数多くみられ、王宮と民家の屋根構造が同じであるところに驚かされた。

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↑太和殿の長すぎる挿肘木 ↓ドンバー橋付近の町家の内部架構。登り梁の構造は太和殿と変わらない。
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 さて、日本中世の「大仏様」とは、俊乗坊重源が入宋三度の経験を活かして、中国福建方面の技術を大々的に取り入れた建築様式とされるが、中国にモデルとなる寺院は存在しないとされる。じっさいに福建省を訪問して北宋~明清の寺院建築を訪れると、大仏様の要素と禅宗様の要素が入り交じっており、純然たる大仏様は存在しない。

 以上から考えるに、フエ紫禁城太和殿は、中国福建・広東方面の寺院建築技術をひろく導入しがらも、ベトナムの土着様式を構造の基本部分に残す混合様式であることが分かるだろう。東南アジアにやってきて、日本の建築様式を考え直せたことは幸運であった。 (Mr.エアポート)

  1. 2006/09/06(水) 23:05:52|
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