
予定より早く、10時半にはハノイのホテルに着いて、さっそくC助教授の部屋(隣の部屋だった)に顔をだして話をした。フエでも予定どおり事は運ばなかったが、ハノイでもいろいろあったらしい。しかし、助教授のアレンジメントはやはり見事で、ハロン湾に向かう大型バスも、ホテルも、水上集落に向かう船もすべて予約済みであった。
11時過ぎから旧市街地=ダウンタウンに出て、助教授が調査したというストリートをみてまわり、町家を改造したCafe 57で昼食をとった。町家と言っても、外観は欧風意匠の植民地時代建築なのだが、中に入ると、ベトナム特有の登り梁式の木構造が露出しており、この表と裏のギャップに倉吉の看板建築を思い出した。

↑カフェ57(昼食) ↓カフェ69(夕食)

午後はまず受け入れ機関のSDIN(Sustainabule Development Institute for North Vietnam)を表敬訪問するべく、その親機関であるベトナム社会科学院VASSを訪問した。ベトナム社会科学院は新しい大きなビルの中に30の異なる研究所を抱えている。じつは今日、SDINの所長が不在のため、SDINと最も関係の深いDRCC(Development Research & Consultancy Centre)のグェン所長が対応してくださった。通訳には、C助教授とMs.フラワーがあたった。

SDINもDRCCも多くの社会科学者を抱えているが、同じ社会科学院に属する文化研究所、経済研究所、歴史研究所、民族学博物館など他の研究機関とは異なり、調査研究に基づく計画的な「発展」を組織のミッションとしている。環境大学のコンセプトにも直結する21世紀的な研究機関であるが、日本にはまだこういう国立の研究機関は存在しない。助教授は、フランスの影響ではないか、と言う。ちなみに、DRCCはベトナム全国を統括的に研究する組織であるのに対し、SDINはベトナム北部を対象とする組織で、ほかに中部を対象とするSDIC、南部を対象とするSDISがある。その略称の読み方は、SDINが「エスディン」、SDICが「エスディック」、SDISが「エスディス」。なかなか、かっこいいでしょ!?

↑バーナールの集会所 ↓エデのロングハウス

それから、ベトナム民族博物館を訪問した。お目当ては、ベトナム各地から移築された少数民族の民家である。とりわけ『
世界住居誌』の表紙にもなったバーナールの集会所には恐れ入った。白川郷の合掌造と同じぐらい棟が高く、合掌造よりも傾斜がきつい屋根をもつ民家である。床下から太い柱を立ち上げているが、床上では、それをあっさり切り捨て、その上部にサスを組んで筋交で固めている。
このほかギアライの墓では、男女マッパの木彫に学生たちが過剰に反応し、エデのロングハウスでは乳房彫刻付き階段の乳房に一人がぶらさがって、大変だった。ともかく今日のチャックは、睡眠不足と下町の臭いにやられてへなへなで、エロくなりさがるしか自分を表現することができなかったのかもしれない。

↑「何センチかな?」(ギアライの墓) ↓ロングハウスの梯子

この勢いを借りて、夕食は「69」というレストランに入った。やはり古い町家を改装した旧市街地のレストランである。そして、いまは「ミンズ・ジャズクラブ」でジャズのライブを聴きながら、この原稿を書いている。ミンさんという伝説的なサキソフォニストが経営するジャズクラブで、3年前に訪れたときにはミンさん自身がプレーしていたが、今日は現役バリバリのコンボが熱演し、ミンさんは最前列の席に構えて友人たちと語らい、コンボの演奏を聴いている。3年前の演奏を思い出すと、曲ごとにメンバーが入れ替わり、最初は若手中心で下手くそだったのが、最後にはものすごくスピーディで迫力のある演奏になり、とりわけハーフと思われる若者のドラミングに唸ってしまった。
今日のコンボはクインテット(TS+AS+EP+EB+DR)で、メンバーは完全に固定されており、演奏のレベルも十分高い。さきほどまで4ビートのスタンダードを演奏していたが、どうやら最後になるらしい演奏中の曲は8ビートに変わった。こうなると、ジャズというよりもブルース・ロックで、クラプトンが加われば抜群だろうなと思いながら、かれらの熱演を聴いている。
- 2006/09/07(木) 21:45:35|
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