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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

カイヤンに似た魚 -越南浮游(Ⅴ)

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 目覚めたら雨が降っていた。
 体調も芳しくない。そろそろ体がパンクしてきたようで、「けんびき」状態から風邪に症状が変化してきている。用意してきた薬を山のように飲んだ。
 昨夜の打ち合わせでは、港からいちばん近いLu Huang村を今日の調査対象に決めていたのだが、雨をみて考えが変わった。雨が降っていては配置図が採りにくい。とくに今回の水上集落は立地する地形が複雑で、範囲も広大だから、配置図は最大の難関だと思っていた。とっさに閃いたのは、昨日、Hang Tien Ong 村のカルチュア・センターに展示してあった集落の模型である。雨も降っていることだし、再びコミュニティ・ハウスを訪れて、まずは館内で模型の地形のみ真上から描き、それをベースマップとして配置図を作成しようと思いついた。

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 クルージング用のボートに着くと、今日はハオさんに加え、美しい女性の通訳兼ガイドさんがいた。フェンさんという。いろいろ訊いたところ、二人はハロン湾管理局のスタッフで、来年には竣工するというエコ・ミュージアム担当の上司と部下。Hang Tien Ong 村のカルチュア・センターは、エコ・ミュージアムが取り組んだ最初の大きなプロジェクトであったという。
 フェンさんの説明によると、ハロン湾は、1)景観的価値、2)地質学・地形学的価値によって、ユネスコの世界自然遺産に登録された(第1次登録は1994年、第2次は2000年)。対象面積は434k㎡で、その範囲に775の島が散在する。バッファゾーンも含めると、面積は1553k㎡、島の数は1969に増える。現在、さらに3)審美学的価値、4)歴史的・文化的価値を加えることによって「世界複合遺産」に登録する準備を進めている。
 ハロン湾に関する調査研究は、1937年まで遡る。スウェーデンの考古学者コラニによる発掘調査がその先鞭であった。以後の考古学的研究により、約25,000年前から人類とハロン湾との関わりが始まったことがあきらかになっている。また、石灰岩をベースとするハロン湾のカルスト地形は、今から5億年前に形成されたという。海面下の地形が一方では隆起し、一方では沈降して、桂林そっくりのカルスト地形の母体が生まれたのである。ちなみに、ハロンとは「天から下る龍」という意味で、漢語では「下龍」と書き、広東語でも「ハロン」と読む。先月の『越南画報』(中国向けの広報誌)では、「下龍湾漁村」という特集記事が組んであり、カルチュア・センターの少女の写真が掲載されている。

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↑建築家が提案した水上集落の将来構想 ↓フェンさんとリンさん
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 Hang Tien Ong 村のカルチュア・センターはフェンさん自身が企画したものであり、わたしと助教授はその展示内容について本格的な説明をうけた。展示は手作りで楽しく、ほんとうに感心させられたのだが、一つだけ気になったのは建築家が提案した水上集落の将来構想であった。現状とはかけ離れたモダンな設計案で、建築だけみていると悪くはないのかもしれないが、それはハロン湾の風景とはあまりにもミスマッチにみえるから、フェンさんにどう思うか尋ねたところ、彼女自身はできるだけ伝統的な水上住居のスタイルを守ってほしいと思っているとのことであった。
 二人の教員が説明をうけているあいだ、二人の学生は地形模型のスケッチと湾内寺院分布図の描き写しに精を出した。一方の学生は今日も数名の少女にインタビューして寺の名前を翻訳していた。ベトナム語から日本語への翻訳である(かれは毎日ベトナム人女性にベトナム語を習っている)。この展示施設にはたくさんの少年少女がガイドとして務めている。より正確に述べるならば、かれらは務めているのではなく、ガイドの訓練を受けているのだ。大半は水上集落の娘さんたちである。その教育のために、ユネスコはリンさんというフランス人女性をこの施設に派遣している。専攻は国際関係論だが、いまは英語と遺産管理の教師に徹している。リンさんはフランス生まれではあるけれども、父親が中国人、母親がベトナム人とフランス人のハーフで、エキゾチックな美貌の持ち主だ。その出自を聞いて、『恐怖の存在』の最初の節に出てくるベトナム系フランス人女性マリサ(波動解析装置のデータを色仕掛けで奪う環境テロリストのメンバー)を思いだした。

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 昼食は近くの筏住居に行き、水槽に泳ぐゾーという魚を買って、キャプテンに調理してもらった。英語に堪能なフェンさんも助教授も、ゾーという魚を英語に翻訳できない。それは当然のことなのだけれども、わたしに言わせれば、ゾーはトンレサップ湖(カンボジアにある東南アジア最大の淡水湖)で食べたカイヤンにそっくりであった。上からみるとナマズ、横からみるとスズキのようなひょうきんな魚で、やはり水上レストランの水槽で養殖されていた。キャプテンはこれを蒸し料理にしてくれた。白身の肉はとても美味しかった。願わくば、ライムが一切れ欲しかった。ライムの汁を垂らして食べれば、さらに旨味が引き立ったであろう。

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 午後は助教授とO君2号(Mr.エアポート)が魚を買った筏住居の実測と聞き取り、わたしとチャックは配置図の作成をうけもった。配置図の作成は、予想どおり、大変な仕事だった。これまでいろんな地域で集落の配置図を作ってきたが、これほど悪条件のところもない。まず陸地がない。島があると言えばあるのだが、浜はない。急峻な崖がそそりたつだけなので、島に降りることはできない。だから、船をゆっくり進めながら、筏住居と家船の位置を地形図に描き込んでいくしかないのだが、地形と船・筏のスケール感が違いすぎてうまくいかない。こういう事態を予想して、GPSとともに助教授愛用の小型レーザー測距器DLE 150 Laserも拝借しておいたのだが、ほとんど役に立たなかった。まず、GPSは雨天でデータが入りにくく、仮に座標データを取り込んだとしても、それはわれわれの乗るクルージング船の位置を示すにすぎないから、誤差が大きすぎる。一方、レーザー測距器のほうも、クルージング船と筏住居・家船の距離、もしくはクルージング船と島の距離をはじき出すだけだから、やはりそれほど有効なデータにはならないのである。
 それでもなんとか、Hang Tien Ong 村の水面に浮かぶ筏住居・家船を地形図に描き込んだ。主要な成果を以下にまとめておく。
 <1> 人の住む筏住居・家船の総数は126戸。
 <2> 筏住居はあわせて108棟を数える。うち養魚水槽をもつものは31棟で、東岸に偏る傾向を確認できた。最初に水槽を作った家も東岸側。
 <3> 家船の総数は17艘。うち新しいタイプの大きな家船は筏住居と混じって位置する。古典的な小型の家船は新しい世帯のための住居であることが多い。
 <4> Te(斜めマストのような材)をもつ漁船は10艘、イカ釣船は2艘、油・セメントの運搬船は2艘確認した。
 <5> 他所から漁に出ている漁船が、外海とつながる集住エリアの入口付近に5艘停泊していた。

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↑Teをもつ漁船

  1. 2006/09/09(土) 23:45:59|
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