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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

水上居民の寺と墓 -越南浮游(Ⅵ)

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 灯台もと暗し、とはよく言ったもので、埠頭に近いカルスト地形の山裾(=島影)に高密度のスクウォッターが形成されていることに、今日ようやく気づいた。船で近づいてみると、水際を埋め立ててコンクリートで敷地を作り、その上に住宅を建てている。地名を確認すると、ホンガイ区ベンドアン街。水上集落にみる筏住居とまったく同じ立地条件にあるので、
  「かれらは漁民ですか?」
と訊ねてみたところ、ハオさんもフェンさんも「ノー」と答えた。見れば、周辺に大型の貨物船が何艘か停泊しており、かれらは物品の運搬に従事しているという。舟運は都市域のボート・ピープルが担う典型的な職業の一つであるから、この高密度集落が水上居民の陸地定住化した姿である可能性は非常に高い。政府はいまこの集落の外側にあたる海上に高速道路を建設中だ。

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↑島影の小さな石窟寺院 ↓水上レストラン背面の養魚漕。背景の丘に漁民の墓がみえる。
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 キャプテンは、それから、いつもとは違う航路をとって船を進めた。まもなく水際のケィブに小さなテンプル(祠)を発見した。続いて、緩い傾斜の浜辺にいくつも墓が連続してあらわれた。墓地にはこういう地形が選択されるのだ。そして、まもなく、大きな水上レストランに接近し、その背後に広大な養魚漕を確認した。そして、近辺の島影に家船が点々と停泊している。海水面の水位は日に日に低くなっており、海蝕によってえぐられた島々の裾が露出しており、その岩陰が家船にとって絶好の停泊地になっている。

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 Hang Tien Ong 村に着くと、まずはいつものように、カルチュア・センターを訪ねた。少年少女たちは、今日も暖かくわれわれを迎えてくれた。チャックはまた今日も、少女たちとベトナム語の練習をしている。ここで、わたしたちは船を乗り換えた。竹編みの小舟にモーターをつけた動力船で、非常に機動力がある。こういう小型の船でなければ、接岸するのが難しい場所が多く、午前中に訪問した村の寺院(Den Cau Vang)も周辺には浅瀬が多く、クルージング船では近づけない。午後1時まで、この寺を調査した。寺の正面には扁額にあたる部分に「官皇 東海大王」と横書きしてあり、門の両脇には、向かって右に「上天降臨付人盛」、左に「神皇霊念究世間」と縦書きしてある。後者はいわゆる門聯にあたる七言だが、さらに本堂の両端にも同様の七言が縦書きされている。内部には奥の壇上に3体の塑像が祭られ、その下の龕のような横穴にも神が祭られている。その横穴の両側には五言の縦書文字がみられた。曰く、「左五官神将」「有五虎臣后」。ここにみえる「有」は「右」と同音であり、「右」の誤記であるのは間違いなかろう。本堂の外側では、海に近い真正面に小さな祠、山側の斜正面に別棟炊舎、そして後方には墓が1基置かれていた。

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 このように、水上居民の寺院は「福禄寿」を祈念する中国の民衆道教の影響を強く受けており、それが海民信仰や祖先崇拝と結びついているのはあきらかであろう。男たちは出漁する際、寺に立ち寄り、航海の安全と豊漁を祈願するという。漢字を多用する点を重視するならば、濃厚な中国化を看取できるが、水上居民はもちろんのこと、一般のベトナム人も漢字をよく知らない。この寺の各所にみえる五言、七言の句は、それらしくみえるのだけれども、どこか頼りなく、間違いが少なくないように思われた。中国に留学経験をもつわたしと中国系マレーシア人の助教授は、この点について同じ意見であった。

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 午後は、昨日と同じように二組に分かれて調査を進めた。わたしとチャックは配置図を修正した。昨日描いた配置図は地形と住居群の位置関係がずれていたので、用意してきたコピーに3色ボールペンでより正確な分布を描いていったのである。今日は曇天であったが、雨は降らなかったので、GPSはすばやく反応し、各所で座標データを得た。また、住居群と島の距離をレーザー測距器で計測した。これで、なんとか集落図が描けるであろう。

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↑実測した家船。↓家船の底にこういう竹船を据えている。竹で編む網代が水に強いのは、黒い塗り土によるが、それは馬糞・牛糞から作るのだという。
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 助教授とO君2号には、古式の家船(Thyen Nan)を調査してもらった。O君2号の実測図をみると、わたしたちが午前中に乗った竹船を船底に用いていることがわかった。船竹船上にまず床を張って中空部分を設け、その上にさらに床板を張って苫で覆う。当然のことながら、居住空間はひろくない。とくに高さが確保できないから、中では座って動くしかない。床下の中空部分は食品等の貯蔵スペースである。

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 帰途、わたしはまたしてもすやすや眠った。体調は回復していない。目覚めると、1時間半がすぎていた。まもなく船は埠頭に着いた。いつもより半時間近い帰着である。と思ったら、それは陸地に近い島であった。明日、助教授は一足先にハロン湾を離れ、ハノイ経由で帰国する。その「最後の晩餐」としてハオさんが一席設けてくださったのである。ここで海鮮料理を堪能した。店の雰囲気は、かつて頻繁に訪れた福建省のそれによく似ていた。ただし、出てくる料理はやはりベトナム的であった。どこがベトナム的かというと、ハーブ類とライス・ペーパーを愛用するところだ。たとえば、スズキ(バス)の姿煮を例にとると、そのまま食べれば美味しいと思うのだが、そのレストランでは、ライスペーパーにミント、バナナの皮のスライス、パイナップルのスライス、そしてスズキの白身をくるみ、甘辛のタレにつけて食べる。

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 食後、フェリーに乗って、ホテルに近い埠頭まで移動した。明日の調査はわたしと学生二人の3人でおこなうわけだが、助教授に代わるヒアリング担当には日々ベトナム語の学習に没頭するチャックがいいだろう、ということで全員の意見が一致した。ふふふ・・・




 水位が大きく下がり、常時水面下にある島の裾が地上にあらわれた。水上集落の女性は寺の近くで牡蠣を採集していた。潜らなくても、牡蠣が採れるなんて・・・

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  1. 2006/09/10(日) 23:57:48|
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