ほぼ一ヶ月半ぶりにビアンキに乗って出勤。秋晴れの爽やかな風を切って大学に向かった。途中、環大道路で一休み。蛇行する斜路を漕ぎ上がるのに疲れたからではない。稲刈りの風景に見とれてしまい、写真を撮りたくなったからである。
稲刈りの時期が早くなった。台風シーズンが到来する前に稲を刈り終えてしまうのであろう。子どものころ、稲刈りは10月後半~11月だったと記憶する。田植えの時期は遅くなり、稲刈りは早くなった。ジャポニカの改良はどこまで進化するのだろうか。

松江出張の行き帰りに、マイケル・クライトンの『恐怖の存在』(下)を読み終えた。最後は、環境テロリストがソロモン諸島で大津波をひきおこす。MIT危機分析センター所長ジョン・ケナー、弁護士ピーター・エヴァンス、秘書サラ・ジョーンズは、ソロモンのジャングルで民族解放ゲリラに捕らわれの身となり、カルヴァリズム(食人)の餌食になろうとしていた。それを救ったのが、
死んだはずの大富豪ジョージ・モートン。わかってはいたけれども、ハリウッドの映画をみるようなドンデン返しの展開である(実際、映画になるであろう)。
ソロモン諸島では、「草葺き」の建物がキーワードの一つになる。環境保護運動にかぶれた俳優のテッド・ブラッドリーは、飛行機の窓に映る草葺きの建物に感嘆して言った。
「あの村の家はみんな草で葺いてある。自然を生きるうえでの、むかしながらのスタイルだ。あれは古くからのやりかたが尊重されていて、いまも受け継がれていることの証拠だろう?」
「ぜんぜんちがう」と案内人は答える。
「あれは反政府ゲリラの村だからね。伝統的な建物とはまったく縁がない。大きな草葺きの家は権威を感じさせるだろう。あれはチフの象徴なんだ」
ゲリラのボス、サンブーカは各村に命じて三階建ての草葺き櫓を建てさせていた。目的は見張りである。オーストラリア軍の襲撃に備えるためだ。
少しだけ私見を挟んでおくと、三階建ての草葺き櫓が「伝統的な建物とはまったく縁がない」という言い方はおかしい。それは、伝統的な民族様式の復古によって、ナショナリズムを高揚させる装置の一つではないか。歴史的な遺跡やモニュメント、要するに文化財(厳密には「文化遺産」)は、全世界的に、しばしばナショナリズムの道具として使われてきた。
それにしても、ゲリラたちが白人の肉を食べて驚喜するというカルヴァリズム儀礼のシーンにはひっかかりを覚える。食人の習俗が世界各地で記録されてきたとはいえ、ソロモン諸島のゲリラがそれを今なおおこなっているというのは、さしものマイケル・クライトンも偏見がすぎるのではないか。もっとも、ハリウッドの映画にするなら、こういう場面はあったほうがいいに決まっているけれども。
「人間の思いこみの歴史は教訓に満ちている」
わたしも、あなたも、かれらも、みんな思いこみと偏見をもって毎日を生きている。だれもが自明だと信じて疑わない「二酸化炭素排出による地球温暖化」が、じつは根拠薄弱な神話かもしれないことを、クライトンはこの小説でくりかえし強調し、最後に「人間の思いこみの歴史は教訓に満ちている」と説く。それはべつに産業界のスポークスマンとしての発言ではない。むしろ、体制化する環境保護団体に対する警鐘と受け止めるべきであろう。
地球は人間の活動とかかわりなく、気象を変動させてきた。ここ数万年のスパンでみても、約2万年ごとに氷河期が訪れ、間氷期に地球は温暖化している。わたし自身が、そのことを教えられたのは、高床建築の起源をさぐるため、中国江南の新石器時代遺跡のデータを収集していた時である。いまから約7000年前、東アジアの各地はヒプシサーマル(気候的最適)期と呼ばれて、年の平均気温が3~5℃高かった。東方アジア最古の高床建築部材を出土した浙江省の河姆渡遺跡では、ジャポニカ栽培稲の籾のほか、大量の魚骨、獣骨、果実などがみつかったが、その生態系は現在のベトナムの湿地帯に近いものである。日本では縄文時代早期にあたる時代であった。その後、気温は少しずつ低くなり、縄文時代の中期頃には今と変わらぬ気候になったとされる。この時代の温暖化と寒冷化に二酸化炭素はまったく関係していない(はずだ)。
科学者こそが必要だとクライトンは言う。客観的なデータを提示し、バイアスなしにそれを分析する科学者だけが真実に近づける。
評論家や弁護士ではなく、自らフィールドに出る科学者が必要なんだ。
- 2006/09/20(水) 22:56:51|
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