
昨夜から雨が降り始め、 一夜明けたら「大雨注意報」が出ている。
雨の山陰も悪くないけれど、さすがに大雨注意報のなかでの民家ツアーはしんどいので諦めることにした。 じつは、神護に行こうと思っていたのだ。環境大学に着任してまもなく保存運動に巻き込まれた、あの山間集落を訪れようと考えたのは、
伝建フェアでの講演材料にしたかったからである。なぜ、わたしが加藤家住宅の保存にこれほどこだわっているのか、その出発点から話すのがよいだろうと考えていた。神護の民家2棟は殿ダム工事に伴う水路付け替えによって取り壊され、別の1棟は茅葺きを瓦葺きに改めた。ところが、取り壊された1棟が新しい水路沿いに復旧されて建っているという噂を聞き及んだ。だから、それを確かめたかった。まぁ、伝建フェアまで時間はまだある。
加藤家の
杉苔は今日もまた艶やかにみえた。雨と杉苔の相性も抜群だということを思い知った。二人の新しいメンバー(2年生)が欅板の縁に出て、ぼっと庭を眺めている。
「好きなんですよ、こういうの・・・杉苔が、とても」
二十歳前後の青年の発言である。

加藤家に集まると、学生たちの顔つきが変わる。リラックスしているようで、緊張感も漂っており、メンバーの一体感が増しているように思われてならない。こういう雰囲気は、絶対に教室では味わえない。あの、古ぼけた民家のオクザシキとイロリによって、学生たちの心性が一定のベクトルを共有しはじめる。わたしの個人的な幻覚なのかもしれないが。
2年生は
神戸市M家から寄贈された茶器をすべて加藤家にもってきた。8畳のオクザシキの畳の上に一つひとつ茶器がひろげられていく。茶器と畳の相性はもちろんいい。来週は、ここで
茶器を撮影することになった。茶器によっては、欅の縁板のほうが映えて写るかもしれない。

膨大な茶器の中に一つ余計な薬罐が混じっていた。それはわたしが雲南省麗江の露天市で手に入れた銅の薬罐である。たしか1993年に買ったものだと記憶する。あのころ麗江の町並みには本物の輝きがあった。世界文化遺産に登録されて、麗江は無茶苦茶になった。2004年に再訪した際、
「おれの麗江はどこに行った、麗江を返してくれ!」
と叫んだものだ(余計なお世話ですが、麗江を「レイコウ」ではなく、「レイコォ」と読めば臨場感が増します)。
その薬罐に水をいれて、イロリの自在鉤に吊してみた。ご存じのように、自在鉤は屋根裏でみつかった推定江戸期の遺物であり、前期のイロリ復元中に先端がポキリと折れてしまったが、O君2号の活躍で「
鉄骨構造補強」がなされ、原位置に復旧された。復元されたイロリのなかで唯一「
材料のオーセンティシティ」を保持している部分である。だから、壊したくない。壊したくないから、何も吊さなかった。
ところが、麗江の薬罐をひっかけても、自在鉤はびくともしない。これで本来の機能を完全に取り戻したことになるが、「曳き家」さんによる基礎工事が始まれば、ただちにイロリの解体工事に入らなければならない。もちろん工事が終われば、今の状態に組み直す。
- 2006/10/05(木) 23:14:27|
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神護の茅葺の復旧は、岩倉の岸本工業さんがされたと思います。
水路の水車も岸本工業さんがされたと、岸本工業の社長さんから聞きました。私は見に行ってませんから、どういう状態かわかりませんが…。
- 2006/10/06(金) 22:15:16 |
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- 中島美代子 #-
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中島さん、ご無沙汰しています。お元気ですか? 情報提供ありがとうございます。近々、神護と柿原を訪問する予定です。またブログにあげますので。
- 2006/10/06(金) 23:27:17 |
- URL |
- asax #90N4AH2A
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