
「コア」という用語を耳にして、林学の術語(英語)なのか、としばらく思っていた。林業試験場からお誘いをいただき、こうして日野までやってきて、枌(そぎ)の実演をみせていただいている。そこに集まっている林業の専門家が、みな「コア」という用語を前提として枌師の中村さんにお話を伺っているからだ。すると、ある参加者が、
「コアという言葉は日野の方言ですか?」
という質問をした。どうやらその通りらしく、コアのことはソギとも言うと中村さんは答えた。ソギとは「枌ぐ」の名詞形であろう。北海道出身の林業関係者は、地元ではマサと言うんです、と述べた。これを受けて、わたしは、
「建築の分野ではコケラと言いますね」
と付け加えておいた。
中村さんは復員後、林業に携わり、木馬引き、木挽きのかたわら製材所でも働いた。その後しばらく建設会社に勤務していたが、昭和48年(1973)、日野町高尾(こお)に自前の工場を築き、枌職人として自立する。奥さんと二人でのコア作り業がスタートした。それから36年の歳月が過ぎた。御歳は80歳を超えるという。今年、めでたく「森の名手・名人百人」に選定された。県の選定ではなく、国の選定である。

↑木取りの開店大鋸 ↓コアおとし

岡野の大遅刻のおかげで、出発が45分も遅れてしまった時、ほとんど絶望的な気持ちに襲われていた。わたしもトマトさんも、なぜ桂木から田園町まで45分もの時間がかかるのかがわからない。車で飛び出せば、15~20分で到着するからだ。岡野はビデオなどの器材を大学に置いてきて、それを取りに行ったのだという。まず、なぜ昨夜、器材を車に積み込んでおかなかったのかという疑問が生じた。ついで、大遅刻を覚悟で、なぜそれを大学まで取りに行ったのか、それも分からなかった。そういう行動に関する連絡もいっさいなかった。トマトさんと二人、田園町の宿舎で岡野を待つしかなかった。
鳥取は昨日から大雨で、今日は風も猛烈に吹いている。車は風に揺れた。昼食時間をカットしたおかげで、なんとか10分遅れで日野の集合場所として指定されていた根雨駅に到着した。雨は降り続いていた。それが、高尾の工場になって猛烈な暴風雨になった。横殴りの雨が工場に吹き込んでくる。
そういう天候のなか、10名以上の関係者がコア師・中村さんのお話をうかがい、枌の技術をみせていただいた。トマトさんは、岡野がもってきたビデオを使って録画を始めた。しかし、まもなく、充電池切れ間近の赤ランプがともった。替えの充電池は用意していない。おかげで肝心のコア落としの場面を録画することができなかった。
「あっ、でも、デジカメで録画しておきました」
と岡野はいう。気がきく、と言えば、そうなのかもしれないが、反省しているのかいないのか・・・・

↑コアの表側。 ↓中村夫妻の仕事ぶりをみていると、餅つきのようなリズムの良さを感じる。
日野町には、かつて瓦葺きの建物は少なかったという。屋根はコア葺き、茅葺き、杉皮葺きのどれかであった。いかにも山間集落らしい屋根材である。瓦葺きが普及してから、コア葺きは瓦屋根の下地になった。コアは有能な下地材であった。中村さんは言う。
「瓦屋根から滲みてくる水分を、コアが吸うては乾かしてくれるんですよ」
修理も容易だ。
「さしゴア言いましてな、傷んだ部分だけ瓦をめくって、そこのゴアを替えたり足したりすれば雨漏りは納まるんです。」
それが需要を減らしたのは、「鳥取県西部大地震」以後のことであるという。地震以後、屋根を重くする瓦葺きが敬遠されるようになった。
コアは檜のソギ板である。厚さは六厘五分から七厘。約2mmと思えばいい。大きさは、だいたい1尺×5寸だが定型化しているわけではない。これを葺き重ねて釘でとめる。かつては鍋で煎って堅くした竹釘を使ったが、今は鉄製φ22mmのコア釘が流通している。一坪葺くのに1時間はかからないという。
- 2006/10/06(金) 23:37:18|
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