今月3日、「長い間お世話になりました」という題目のメールが入った。えっ、と思って目をきょろきょろ動かすと、送信者は松江市文化財課のF君となっている。
驚いた。この4年間、ずっと
田和山の復原事業に係わってきて、わたしの厳しい指導に耐え抜いてきた男が、最後の最後、大型竪穴住居の竣工を直前に控え、部局を異動してしまった。異動の噂は春からあったが、年度が変わっても文化財課にとどまっていてくれて、正直ほっとしていた。
復原事業になると、わたしは鬼と化す。いや、ふだんから鬼なんだが、復原のときはとくにピリピリしていて手がつけられない。そういう自分を、いちおう別の自分がみているのだけれども、どうにもこうにもコントロールできない場合がしばしばある。F君は、この手の輩を懐柔できる数少ない猛獣使いであった(山陰にはあとふたり猛獣使いがいる)。
F君は、復元事業の基本設計経費が足りなかった一昨年、自前で土屋根住居の1/20模型を作った。これは凄いことだと思う(妻木晩田にいたころのハマダバダ1号も、こういう苦労をしていた)。わたしは、F君の作った模型について、次のようにコメントした。
「この模型を、もし学生が演習の成果として持ってきたら、ものすごく誉めてあげるね。でもさ、これは復原事業として実施される仕事だからな、やっぱり今のままでは駄目だな・・・」
それから数日して、別件で松江を訪れた際、深夜ではあったが、かれはわたしが宿泊しているUホテルまで模型をもってやってきた。合格点を与えた。
かれとは、もうひとつ通じている部分があった。F君はもともと東洋史の専攻で、中国に留学していた経験がある。留学先は天津大学であった。わたしは北京と上海で留学生活を送った経験がある。これと関連して、ひとつどうしても書いておきたいことがあるのだけれども、書けない。たぶん死ぬまで書けないだろう・・・思い出すのは冷えた麦茶である。

今日、大学に着くと、F君の上司であった係長からメールが入っていた。
「先日本人が連絡したと思いますが、10月異動でFが急に異動することになりました。ようやくスムーズに仕事が進むようになったばかりの時に急にこんなことになり、先生には大変申し訳なく思っています。Fの後任はSという者が担当しますが、いきなりFのように完璧にこなすのは難しいと思いますので、当分、私と2人で担当したいと思っています。今後ともよろしくお願い申し上げます。(略)この3連休は田和山でも『いざよい祭り』や『赤米稲刈り』など、多数のイベントが開催されました。中でも「いざよい祭り」では、掘立柱建物の中でインディアンフルートの演奏があり、月明りに照らし出されたされた田和山のシルエットと相まって幻想的な雰囲気でした。」
自分が設計指導した大型掘立柱建物の中で、インディアンフルートの演奏があったんだ。
日野まで行っていたんだから、少し足をのばせば良かったな。そういえば、
御所野では作夏、小澤征爾が若い音楽家を集めてワークショップを開いたという。
高田館長は何度かお誘いくださったが、時間と懐に余裕がなかった。一方、つい先日、酒席ではあったが、YU遺跡の整備関係者たちが、「(イベントに)呼ぶなら誰がいいですか?」と訊いてくるので、
「
高橋真梨子か、綾戸千恵with日野皓正クインテットでどうですか?」
と答えたら、「高橋真梨子、いいですねぇ」と所長自ら鼻の下を伸ばしていた。
実現するはずもなかろうに。
- 2006/10/10(火) 20:42:22|
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