
久しぶりに週末を鳥取で過ごしている。明日の
伝統建築フェア(倉吉)の準備を控えているから、週末という気分からはほど遠いのだが、外は良い天気だし、昼は蕎麦を食べに行こうと決めていた。車に乗ると、最近買ったばかりのCDをずっと聞いている。ジャクソン・ブラウンのアコースティック・ライブ(Solo Acoustics vol.1)だ。ジャクソン・ブラウンはニール・ヤング、ジェイムズ・テイラーと並ぶ、わたしの青春の3大シンガーソングライターなんだけれども、歌詞がちょっと甘すぎて、
「ジャクソン・ブラウンが好きなんだ・・・」
と公にしにくいところがないとは言えない。しかし、今回のアコースティック・ライブは乾いている。ギターは技術ではない、ということがよくわかる。よい詩とよいメロディーがあって、よいシンガーが歌をうたえば、ギターはコードを奏でるだけでいい。伴奏楽器としてのギターは歌をひきたたせるものであって、技術を誇示するためにあるのではない。いくら技術が高くても、歌を殺してしまっては意味がない。ジャクソン・ブラウンのギターは、ジェイムズ・テイラーのような技巧もなければ、ニール・ヤングのような個性もないけれど、自分の歌を際だたせるツボを心得ている。
秋晴れの田舎道をジャクソン・ブラウンのソロ・ライブを聞きながら、蕎麦屋へ向かった。「悲しみの泉」のジャンッ、というピアノの始まりには震えがくる。『レイト・フォー・ザ・スカイ』の初めの3曲をいったい何度聞いたことだろうか。「悲しみの泉」は、その真ん中の曲なんだ。
因幡は蕎麦屋の少ないところだ。つい先日まで、若桜街道の「吾妻蕎麦」をのぞくと近辺に蕎麦屋がなく、たまに戸倉峠越えして立ち寄る「
ひむろ蕎麦」がほとんど唯一の楽しみであった。ところが、最近、古郡家では農業倉庫を改修してそば切り「たかや」が、また国府町の中河原では茅葺き民家を改装して手うち蕎麦「
門や(もんや)」が開店した。
「門や」の茅葺き民家については、
神護に通う途中いつも目にしていたから気にはなっていたのだが、まさか蕎麦屋に生まれ変わるとは。生きていると、たまにはいいことがあるものだ。蕎麦通は蕎麦そのものが好きなので、店で注文するのは、だいたい「もり」か「ざる」に限る。「かまあげ」もいいし、「おろし」(とくに辛み大根の「おろし」)もいい。以上が蕎麦通の正統である。ともかく、飾り気のない純粋な蕎麦が愛おしい。今日は「もり」を注文した。蕎麦は信州の二八。透明感がある。
「門や」は昨年9月にオープンした。ご主人は鳥取市街地に住んでいて、たまに中河原の実家(茅葺き民家)に帰ってきていたそうだが、退職を機に実家を改装して「蕎麦屋」を始めたのだという。自ら厨房にたち、蕎麦を打っている。
民家は四間取り。たぶん明治の建築であろう。四間すべてを客室として公開している。今日は風が心地よく、前の庭から後の庭に通り抜けていく。そよ風をつかむ、とはこういう感触かな、なんて思いながら、「もり」をすすってそば湯を飲んだ。

ところで、蕎麦と言えば「縄文」ではないか。出土資料や花粉分析でどのような成果が得られているのか、よく知らないが、縄文人が蕎麦を食べていたことはほぼ疑いのないところである。で、かれらの住まいはどうなっていたのか。原稿を書かなくてはいけないではないか。すでに〆切を2週間もすぎてしまった。奈良の家には同成社から催促の葉書が届いている、とワイフが電話してきた。伝建フェアさえ終われば、少しは楽になる。いや、そんなことはないな。倉吉のあとは出雲に行って、松江に行って、帰ってきたら、とりあえず授業の準備をして、・・・そうこうしているうちに加藤家で大騒ぎになって・・・
ここで決断!
まもなくブログで「
縄文建築」に関する連載をはじめます。そうしないと、書けないな。「都城」の原稿と同じパターンで責務を果たすしかなさそうだ。


殿ダムの工事は「門や」のすぐ傍でもおこなわれている。よく生き残ってくれたものだ。

- 2006/10/14(土) 23:56:47|
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