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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

田和山の仮組検査

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 早朝、出雲駅前のホテルまで宮本が迎えに来てくれたので、二人で朝食バイキングを食べた。和食である。宮本は普段は朝食抜きだし、わたしにしたって、単身赴任の鳥取ではめったに健康的な朝食を摂ることはない。二人で腹いっぱいご飯とおかずを食べ、シジミ汁をすすった。
 今日は田和山遺跡大型竪穴住居の仮組検査。まずは田和山遺跡の山頂までのぼった。宮本は、田和山は2度めだが、ゼミ卒業旅行の際、やっちゃんHOKANO大暴走の余波をうけ、倉吉からJRで松江に移動するはめになり、時間を大幅にロスした結果、昨年度竣工した大型掘立柱建物をみることができなかった。

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 今日はまたしても快晴。3月とは別の顔をした田和山の風景を堪能した。おもしろいのは、田和山と市立病院が景観的に融合し始めていることだ。ご存じのとおり、田和山遺跡は松江市立病院建設予定地の事前発掘調査でみつかったものであり、猛烈な保存運動の結果、病院が山の隣接地に移動した経緯がある。病院側にしてみれば、憎んでも憎みきれないぐらい敵対的な存在だったに違いない。昨年度、病院と田和山遺跡はともに県の景観賞に応募し、なんと病院が「景観大賞」を受賞した。田和山は落選してしまったが、未だ大型掘立柱建物もたっていない整備途中の段階だったから仕方ない(病院はもちろん完成して動いている)。あれから景観の質は大きく向上した。芝生に覆われた丘陵の風景を復原建物が引き締めていて、いまでは敵対関係にあった病院と田和山の景観が融合し、山陰道(高速道路)周辺の一大ランドマークとなっている。

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↑山頂の5本柱からみた大型掘立柱建物と宍道湖の風景 ↓田和山に隣接する市立病院
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 田和山遺跡整備の最後の仕事が大型竪穴住居の復元建設だ。大型掘立柱建物のすぐ下側に建設される。おそらく大型竪穴住居と大型掘立柱建物はつがいのような存在であろう。以前は、大型掘立柱建物を山頂遙拝のための祭祀施設と推定していたのだけれども、いまは鳥取西部の弥生時代に特有な「長棟建物」に似た施設ではないか、と考えている。竪穴は女性原理の「家(住まい)」、大型掘立柱建物は男性原理の「建築(複合的機能をもつ集会所)」なのではないか。
 田和山から仮組の現場に移動した。いや、大きい。直径約8mの竪穴住居だが、周堤の中心までのびる垂木尻までの(すなわち内部空間の)直径なら約11mに達する。主柱は7本で竪穴の平面は楕円形を呈する。こういう平面は「縄文的」だとわたしは思っている。柱を多角形に配列して竪穴をそれとほぼ平行にまるめて掘る。換言するならば、円形や楕円形の平面にふさわしい主柱の配列は5角・6角・7角などの多角形配列になるということだ。これが弥生のある段階になると、4本柱の円形竪穴になってくるのだが、この復原がむつかしい。古墳時代に卓越する隅丸方形の4本柱だと難なくできるのだが、円形平面の4本柱にはいつも頭を悩ませる。信じられないかもしれないが、いちど挑戦してみてください。

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↑一昨年度に竣工した土屋根住居にようやく草が生えてきた。 ↓まもなく着工する大型竪穴住居の仮組作業
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 出雲の昼食はいつも蕎麦だ。今日は駅前の蕎麦屋で卓を囲み、三味割子を食べた。ふだんなら5枚はいくところだが、朝ご飯をたくさん食べているので、今日は3枚で打ち止めにした。午後から宮本と安来の「足立美術館」を訪問した。ご存じの方も多いであろうが、アメリカの日本庭園専門誌 Journal of Japanese Garden のランキングで足立美術館の庭園は4年連続(2003-2006)日本一に輝いている。今年のベスト5をみてみよう。
  1位 足立美術館(島根)
  2位 桂離宮(京都)
  3位 山本亭(東京)
  4位 無鄰庵(京都) 
  5位 栗林公園(香川)

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 いやはや桂離宮をおさえて4年連続1位に輝くとは恐るべきことであり、いったいぜんたい何を指標にして格付けがなされているのか、不思議に思うのだが、「細部に至る維持管理は造園の大傑作である」との評価を受けているようだ。そりゃ「維持管理」という点からみれば、たしかに足立美術館の庭園は素晴らしいことこの上ない。今日も、多くの職人が植木の剪定作業に従事していたが、わたしたちの立場からみれば、維持管理の労力が過重にすぎるように感じられなくもない。維持管理が細やかすぎて、古めかしさが消え失せ、日本人の心性を打つ「侘び」の心境が微塵も感じられないのである。言い換えるならば、庭に時間を感じない。
  「加藤家の小庭のほうがいいねぇ」
と小声で呟くと、宮本はこっくり肯いた。
 もういいや、と思って、美術館を出ようとしたところ、最後のスポットに陶芸品陳列室があり、河井寛次郎と北大路魯山人の作品が展示してあった。作品の評価をわたしはできないが、そこで魯山人の言葉に目をとめた。

  「努力といっても私のは遊ぶ努力である。私は世間の人が働きすぎると思う一人である。私は世間の人がなぜもっと遊ばないのかと思っている。画でも字でも、茶事でも雅事でも遊んでよいことまで世間は働いている。なんでもよいから自分の仕事に遊ぶ人がでて来ないものかと待望している。仕事に働く人は不幸だ。仕事を役目のように了えて他の事の遊びによって自己の慰めとなす人は幸せとはいえない。政治でも実業でも遊ぶ心があって余裕があると思うのである。」

 わたしも数年前、学生向け開学パンフレットに、

  「よく学び、よく遊べ。但し、最後には、学問でも十分に遊べることに気づいてほしい」

というメッセージを記した覚えがある。









  1. 2006/10/16(月) 23:36:13|
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