
縄文建築論(Ⅰ)で、円錐形テントが竪穴住居の原型であることをのべた。そこでは、
円錐形テントの残影は、アイヌ住居のケツンニ構造や近世民家のサス構造にすらみとめることができるとも指摘した。
とりわけ重要なのがアイヌの三脚構造ケツンニである。アイヌ住居の小屋組には両方の妻側に三脚をふたつ立てる。この三脚をアイヌ語でケツンニと呼ぶ。三脚を構成する三本の棒材の下端は鋭角的に尖らせて梁・桁にさしこんで固定する。こうすると、長方形平面の梁・桁上の両側に三脚がたち、両者の頂点に棟木をのせれば短い棟をもつ寄棟造の屋根をつくることができる。
アイヌ住居のケツンニ構造が、北方ユーラシア狩猟採集民族のテント構造と親縁性をもつことを喝破したのは大林太良であった。まさに卓見である。こういう眼で縄文住居を捉えるならば、たとえば前期に卓越する長円形のロングハウスなども、両方の妻側にケツンニを立てて棟木でつないだものとして理解できる。
いま工事が進んでいる
御所野遺跡の掘立柱建物(中期末に出現するストーンサークル外周の墓前建物、2間×1間)でも、屋根の復元にはケツンニを採用した。6本柱上に梁・桁を架けて、その両側にケツンニを立ち上げ、棟木を載せれば寄棟造の屋根ができあがる。垂木は棟木と出桁にわたす。もうひとつ別の考え方もある。梁・桁の上に床を張ってしまい、その上にケツンニを立てる方法である。これは、アイヌの屋根倉コウンパプに近い技法であり、カムチャッカ半島居てる面の「夏の家」の構造ともよく似ている。今回の復元でも、こういう露台上の伏屋式屋根倉構造を採用することももちろんできたのだが、床上に屋根の全体をおさめてしまうと、軒の出がまったくなく、雨仕舞いに難がある。だから、短いの軒をもつ構造とした。
今日は、御所野縄文博物館の
高田館長からメールで中間報告があり、ケツンニに関して質問があった。

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掘立柱建物の方も順調に進み、骨組はほぼ完成しています。ひとつ気になることがあります、ケツンニの3本のうち1本が棟にささるようになっています。写真の矢印部分(↑)です。このようなおさまりでいいのでしょうか? 御指導お願いいたします。ケツンニはきちんと縄で結わえて、それを反転して設置していますので前回よりかなりいいものになっています。よろしくお願いいたします。
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梁から立ち上がるケツンニの1本の棒が先端をとがらして棟木を刺している。これを良いとみるか、良くないとみるのかは難しいところだ。三脚の上の二股に棟木を架けると、たしかに他の1本は下から棟木を突きあげるしかなくなる。その突き上げる斜材が棟木を押すだけなのか、差し込みなのか。押すだけでもよいかもしれないが、斜材の自重で棟木から離れてしまうのは困る。縄文時代の技術がどうであったのかは、わからないが、メインテナンス上はやはり少しだけ差し込んで、全体を縄結びしておくほうがよいのではないだろうか。


↑ケツンニとサスの違いを示す伏図(クリックすると画像が大きくなります)
- 2006/10/25(水) 18:21:52|
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