
松江市文化財課から
田和山の大型竪穴住居復元の現状写真が送られてきた。上の写真は一昨日の建設風景。サスを渡して、棟木をあげようとする直前の工程である。今日までには越屋根まで上がっているはずである。わたしの次回の現場視察は12日(日)の午後。たぶん茅葺きがかなり進んでいる段階であろう。じつはこの日の夕方、米子において「吉田を囲む会」を催すことになった。近隣にいる数名のほか、ピエールがわざわざ大阪からかけつけるとの報に驚いた。
会場は米子駅前の「
庄屋」。日野川のナマズ料理を食いまくろう、というわけだ。このブログを読んで、「わたしも参加します」という方は大歓迎いたします。日野川の大ナマズはほんとうに美味しい。寒くなればなるほど、味覚が研ぎ澄まされる。
一方、倉吉の文化財課からは、発掘調査中のクズマ遺跡(倉吉市上神)の住居跡の写真が送られてきた。一辺6m前後の隅丸方形平面で、時期は5世紀後半。南側の隅部に角状に張り出した遺構をともなう。張り出しは斜面の低い側に設けられおり、床面には住居址内と同様に白色粘土が敷かれている。上神地内では、隅丸方形住居の隅部に階段を二ヶ所設けたものが以前に調査されており、この隅の張り出し遺構が「門道」である可能性はきわめて高いであろう。竪穴住居隅部の出入口については、一昨年発見された八尾南遺跡(大阪)の弥生住居跡で大きく注目を集めたが、たしかに倉吉周辺では以前から隅の門道らしい遺構が確認されてきた。
隅の門道は、竪穴住居の復元に残された最後の課題であるといっていい。隅のサスがわたされるはずの部分に開口部があるとしたら、それはいったいどのような構造をしていたのか。どこかの遺跡整備事業でためしてみる必要がある。もうひとつ気になっているのは、隅の入口は正門であるのか、脇門であるのか、という点だ。つまり、隅の入口が唯一の入口なのか、それとも別に大きめの入口があって、隅の入口は勝手口のようなものなのか、という疑問である。どちらにしても、遺構をみにいかなければいけない。なんとか時間をとらないと・・・。
- 2006/10/28(土) 02:41:13|
- 史跡|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0