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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

『オシムの言葉』に寄せて(Ⅱ)-辺境と苦境のなかに

  『オシムの言葉』(集英社)というノンフィクションは大変なベストセラーになっていて、どこの本屋に行っても平積みにしてある。しかし、ほんの少し前までまったく食指が動かなかった。どうせ、ジェフ千葉のホームページで日々更新されてきたという「オシム語録」を編集した程度のものだろう、という一方的な偏見をもっていたのと、代表監督交替にあわせて流りのサッカー本を読む自分に対して抑制が働いていたように思う。
 先々週の金曜日、あの日も秋晴れだった。倭文加藤家の現場を視察し、そのまま岡野に郡家(こうげ)駅まで送ってもらって、午後3時半発の特急「スーパーはくと」に乗ろうとしていた。いつもの行動パターンである。ところが、あの金曜日は少しだけ時間に余裕があったものだから、郡家の書店に立ち寄った。
  「スーパーはくと」という特急列車は、ディーゼルをふかしてスピードを出すせいか、よく揺れる。乗り心地のよい列車だとはとても言えない。眠りにつけばしめたものだが、乗り心地がよくないから快眠に至らない。目が覚めていると、乗り心地がわるい分だけ乗車時間を長く感じてしまう。降車は終着駅の京都だから、まるまる3時間この特急列車に揺られるのだが、感覚としての乗車時間はほんとうに長い。とりわけ、大阪から京都に至る最後の半時間をほとんど永遠のように感じてしまう。この時間を短くするには、主体的に何かに没頭するしかない。いちばん良いのはパソコン仕事だが、この激しく揺れる特急列車でパソコンの画面をみつめていると、すぐに吐きそうになる。仕方ないから、レポートの採点をしたり、読書したり。やることは他の旅客と変わらない。おかげさまで、『マオ』上・下や『恐怖の存在』上・下などの大著を読破することができた。
 しかし、先週は暇つぶしになる本をバッグの中に納れるのを忘れてしまっていた。司馬遼太郎の『義経』を読むつもりでいたのだが、バッグを探しても、その文庫本はみつからなかった。だから、郡家の本屋に立ち寄ったのである。こういう片田舎の郊外型書店にも『オシムの言葉』はちゃんと平積みにしてある。2005年12月10日に初版本が発行され、すでに第11刷まで版を重ねていたこのベストセラーを、わたしは2006年10月27日になってようやく手にした。そして、先週末に限って言うならば、「スーパーはくと」の乗車時間は恐ろしく短かった。京都駅から近鉄の急行に乗り換えても、わたしは立ったまま『オシムの言葉』を読み続けていた。
 やはり売れている本は違うな・・・。魂が入っている。

  『オシムの言葉』の著者・木村元彦は1962年生まれのスポーツ・ノンフィクションライター。長年、旧ユーゴスラビア地域のサッカー・シーンを取材し、すでに『誇り -ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 -ユーゴスラビアサッカー戦記』の2作があり、『オシムの言葉』は3部作の最終作にあたるという。わたしは、こういうサッカー・ジャーナリストがいることを知らなかった。同業でもっとも知名度が高いのは、おそらく金子達仁であろう。アマゾンで調べると、金子達仁の著作もずいぶん多くなっているが、かれの代表作は処女作の『28年目のハーフタイム』(文芸春秋、1997)であるとわたしは勝手に決めている。28年ぶりにオリンピック出場を果たした五輪代表チームが、「マイアミの奇跡」と呼ばれた初戦、すなわちブラジル戦のハーフタイムですでに崩壊していたことを知らしめた力作である。金子の取材手法は、手間はかかるだろうが、そう複雑なものではない。一つの事象に関して、一部もしくは少数の人物からインタビューするのではなく、相反する立場にある複数の人物にインタビューして、その意識のずれを示しながら、実像に肉迫する。たとえば、アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」に関していえば、中田英寿、川口能活、前園真聖らの選手に加えて、監督の西野朗、ブラジル代表CBのアウダイールらにインタビューし、一つの出来事を多角的に照射している。
 木村は金子の4歳年上だが、木村の取材手法も基本的に金子と変わらない。『オシムの言葉』を例にとるならば、オシムだけでなく、おびただしい数の選手やサッカー関係者らにインタビューをくりかえし、オシムという人物の実像に迫ろうとしている。だから、『28年目のハーフタイム』と『オシムの言葉』は名著なんだ、と言いたいわけではない。『オシムの言葉』には『28年目のハーフタイム』を超えた深さがあり、人生の本質が垣間みえる、と多くの読者は感じているのではないか。
 それは木村元彦の筆力が金子達仁のそれを上まわるとか、上まわらないとか、そういう些末な要因にあるのではない。それは、『オシムの言葉』の舞台がユーゴスラビアであり、そこに如何なる圧力にも毅然として屈しないオシムという名将がいた事実による。1990年のイタリアW杯から92年のユーロに向けて、オシム率いるユーゴ代表チームは天下無敵と評されるほどの強豪に成長していくのだが、それに反比例するかのようにユーゴスラビア内部での民族間・宗教間衝突は激化し、最終的にはセルビア軍の「サラエボ包囲戦」に突入する。この戦争に抗議するため、オシムはパルチザン・ベオグラードとユーゴ代表の監督を辞任するのである。そのとき、オシムの妻娘は戦火のサラエボにいた。
 オシムはまもなくベオグラードを離れ、ギリシアの名門パナシナイコスの監督に就任する(1992-93)。ここでオシムは、柄にもないロビー活動に奔走する。ギリシア随一の富豪であったパナシナイコスのオーナーを通して、政府や軍の上層部に働きかけ、国連防護軍に加わっているギリシア軍のヘリコプターに妻娘を乗せて国外脱出をはかる承認を得たのである。ところが、妻のアシマはこの脱出策を拒否する。以下、『オシムの言葉』からの転載。

  「私もサラエボで生まれ育った人間ですよ。皆が苦しい中、自分だけが逃げ出す
   なんて恥ずかしいことはできません」
  赤十字が組織する出国支援の順番待ちリストには、必要書類を全部揃えながらも、
  何ヵ月も待たされている老人や病人の名前が並んでいる。アシマはそんな中で、
  オシムの妻という特権を利用して逃げ出すことはできないと決意していた。

 その後、1994年10月某日、国連軍で通訳をしていた娘のイルマから、国外脱出リストに名前が掲載されたことを告げられ、アシマは着の身着のままで国連軍のヘリに乗りこんだ。そして、ザグレブ経由でウィーンに入り、二年半ぶりにオシムとの再会を果たす。妻は顔にしわが増え、体重は10㎏も減っていた。

 オシムはそのころ、オーストリアのシュトルム・グラーツを率いていた。前年、パナシナイコスを離れるにあたって、レアル・マドリードやバイエルン・ミュンヘンなどのビッグクラブから監督就任のオファーが殺到したにも拘わらず、オシムはオーストリア・リーグの中堅チームを選択した。かれが、なぜビッグ・クラブからのオファーを受けないのかについては本文を参照されたいが、グラーツとジェフ千葉は似たようなチームである。ジェフ千葉の前身「ジェフ・ユナイテッド市原」は、J1の中で観客動員数が最も少なく、年間予算の最も少ないチームであり、一時は「Jリーグのお荷物」という陰口すら囁かれていた。成績は7~14位。こんなチームの監督が高額の給料をもらえるはずはない。しかし、いつでも、オシムはこういうチームの監督を引き受ける(いまの日本代表にしても、国際的にみれば、同類のチームにあてはまるはずだ)。そして、スターのいない弱小チームを常勝軍団に替えてしまう。2日前、千葉は通算10冠を狙う名門「鹿島」を2-0で下し、ナビスコカップ2連覇を果たしたばかりである。

 最近、柄にもなく、CG関係の仕事に係わることが多くなり、そういう系列の大物ともしばしばメールで仕事のやりとりをする。うちの研究室が研究費に苦しんでいるのを知ってか知らずか、あるディレクターは、
  「・・・因みにT大学のI研究室はバイヨンの3D計測とCG化で毎年数億円の予算をとっておられるそうです。うらやましい限りです。」
と伝えてきた。わたしは返信した。
  「I先生の研究室はたしかに研究費が潤沢なのでしょうが、研究の本質がお金にあるわけではありませんから、正直言って、わたしはそんなに羨ましくありません。オシムは給料の安い、弱いチームでずっと指揮をとってきました。そういうチームをいつも常勝軍団にしました。わたしも鳥取という辺鄙な弱小県にいることを逆手にとって、学界に楔を打ち込むことを生き甲斐に感じています。大きな組織にいればいいというものではありません。」

 お金と名誉に恵まれていても、人は必ずしも幸せなわけではない。誠実さと実直さをあわせもった人たちが有能なリーダに率いられて手を携えれば、どんな辺境にあっても、どんな苦境に身をおこうとも、人の胸を打つ仕事がなしとげられる。
 オシムとかれの妻は、わたしたちにそう訴えかけている。(完)



  1. 2006/11/06(月) 01:39:38|
  2. サッカー|
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