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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

青谷上寺地遺跡「楼観」の復元CG

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↑復元CG(平入案)

 このブログがアップされる時、わたしは埋蔵文化財センターの秋里分室で「青谷上寺地遺跡出土建築部材」の記者発表に臨んでいる。一昨日の「のびたインタビュー」でコメントしたように、今回の記者発表の最も重要な意義は、全国に先駆けて出土建築材のデータベースをネット上で公開した点である。鳥取という日本でいちばん小さな県の埋蔵文化財センターが、日本で最初にこういうデータ公開に取り組んでいることをまずは高く評価していただきたい。現在は、わずか500点ばかりのデータベースだが、最終的には出土した7000点すべてをネット上で閲覧できるようになるはずである。
 これまで青谷上寺地遺跡の建築部材は、ただ妻木晩田遺跡の復元事業に活用される程度であったが、この公開によって日本全国の弥生時代集落史跡の復元整備事業に活用可能になる。また、もちろん全世界の研究者が青谷上寺地遺跡の建築部材データを閲覧可能になるのである。発掘調査によって出土する考古学資料はおびただしい天文学的数字になる。それを整理活用する最も有効な媒体はコンピュータであるが、そのコンピュータで整理したデータをこうしてネット上で体系的に公開することは本当に稀なことなのである。この青谷での建築部材整理・公開の取組みが、全国の埋蔵文化財研究・行政を転換させる一つの契機となってくれれば、これほど嬉しいことはない。

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 さて、今回のデータベース公開にともない、

  1.弥生時代最長の柱
  2.日本最古の蟻桟(ありざん)

という二つの瞠目すべき建築部材が発見・確認された。1については長さ724㎝、径17~18㎝、という細長い材であるが、柱の節々にコブシが残っており、当初の径は25~30㎝に復元される。それにしても、細い材である。しかし、上端から約1m下の部分に細長い貫穴が残っており、さらに上端部分には下の貫穴に直交する輪薙込(わなぎこみ)仕口のような加工を確認できるが、じつはこの部分で柱は折れている。したがって、この仕口は輪薙込ではなく、貫穴であったことが判明している。ここで下の貫穴を床下の大引(おおびき)とみなせば、その上側約1mにある貫穴は手すりを通した痕跡と思われる。したがって、その上面1m程度のところには、さらに桁を納める仕口が加工されていたと判断される。なお、床下の大引貫をおさめる貫穴と手すりの貫穴は直交関係にある。これは前後方向と左右方向の揺れに対する構造的な配慮と考えられる。
 一方、柱の下側はやや細くなっている。樹木の「元口(もとくち)」側だから、柱は根本で太くなるはずだが、いくぶん細めになっているのは、建物解体時に柱が根元付近の地上で伐り取られた可能性を示唆するものである。わたしは何度も、建築材整理担当の考古学者に掘立柱の地下部分を示す痕跡がないかを訊ねており、わたし自身も何度か柱の表面を肉視しているが、地下に埋まっていたことを示す痕跡はみとめられなかった。これは複数の研究者の見解である。一方、弥生時代の掘立柱建物の多くの柱穴には柱根が腐って土壌化した「柱痕」が残っている。これは、建物の解体・廃絶にあたって、柱根を地下に残していたことを示している。以上2点から、今回発見された「細長い柱」の断片はすべてが地上部分に存在したものと判断される。
 以上みたように、この柱材は、手すりをもつ高層建築の隅柱である可能性が高いと思われる。手すりをもつ高層建築といえば、倭人伝にみえる「楼観」、すなわち物見櫓がイメージされる。城柵とセットになって集落の縁辺におかれた四面開放の高層建築である。鳥取県の場合、大山町(旧名和町)の茶畑第1遺跡の環濠内側でみつかった掘立柱建物11(弥生中期後葉~古墳時代前期)が「楼観」のイメージをもった大型掘立柱建物としてよく知られている。掘立柱建物11は桁行2間(6.0m)×梁間1間(4.9m)で、柱穴の深さは1.0~1.5m、5つの柱穴に残る柱痕はφ30~42㎝を計る。今回復元を試みる青谷上寺地の細長い柱の復元径はφ25~30㎝と推定されるので、掘立柱建物11よりもひとまわり小振りとみなし、平面を桁行2間(4.8m)×梁間1間(4.0m)と仮定した。

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↑茶畑第1遺跡掘立柱建物11 ↓稲吉角田の土器絵画
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 この平面の4隅に今回発見した細長い柱をたて、中間には手すりの貫穴のない柱を立てる。そして、下の貫穴には桁行方向に大引貫を通して両端の手すりをこれと直交方向の貫穴に通す。桁行方向の手すりについては、両端梁行の手すりにはめ込む形式とする。小屋組は束立で、削り出し式の束を両妻側の手すりから立ち上げ、梁の位置で細くしてそれを貫き棟木を支える。こうなると、屋根は切妻造以外に考えられない。淀江の稲吉角田の土器絵画(弥生中期)は寄棟造のようにみえるが、所詮は土器にヘラ描きした絵であり、構造形式に関する実証性をともなうものではない。
 さて、青谷上寺地遺跡では約7000点の建築部材が出土しており、すでに妻木晩田遺跡の高床倉庫復元で各種の部材を参照している。今回の「楼観」復元においても、柱以外に、屋根の垂木・小舞一式、小屋梁、桁、削り出し式の束、貫、根太、床板など多数の出土材との組み合わせを試みた。ただし、梯子については、平城宮下層で出土した古墳時代前期の組合せ式梯子を採用した。刻み式の梯子なら青谷上寺地でも多数出土しているが、その全長はせいぜい3m程度であり、高さ5~6mもある床に上るのは不可能である。稲吉の土器絵画をみても、梯子は組合せ式になっている。しかも、鳥取県内では鳥取市桂見遺跡(古墳前期以前)、米子市池ノ内遺跡(弥生)で弥生前期の組合せ式梯子の一部と思われる棒状の材が出土している。ただし、県内の例は平城宮下層ほど完全な姿を示すものではない。こういう理由で、平城宮下層出土遺跡出土の梯子を参照することにしたのである。

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 以上の検討から作成したのが上の梁行断面図である。案1は出土した細長い柱が1.0~1.5m地下に埋まっていた場合、案2は柱全体が地上に出ていた場合を想定している。くりかえすけれども、わたしは案2の可能性が高いと考えている。案2の場合、床高は6mあまり、桁まで約8m、棟高は約10.5mとなる。なお、この断面図では、梯子を妻側においている。つまり妻入なのだが、この復元案には大きな欠陥がある。梯子を上りきって床の上にあがろうとするとき、頭を打ってしまうのである。これに対して、平側から上るケースを想定すると、桁行方向の手すりの存否は不明だから、梯子部分だけ手すりをカットしてもかまわない。わたしは桁行方向の柱間1間分の手すりを取って入口にした平入案のほうが良いだろうと考えている。
 
 以上の作業に基づいて、復元CGを制作した。平入案と妻入案の両案をここに提示する。こういう作業を続けるなかで、妻木晩田遺跡の復元事業に携わりはじめた5年前のことを思いおこしている。妻木晩田の当初整備を進めるなかで、「楼閣を建てて欲しい」という願望が周辺に満ちていた時期があった。当時は遺跡整備のブームの真っ最中で、吉野ヶ里、三内丸山、唐古・鍵などが、競うように高層楼閣を復元建設していた。そういう動きを、わたしは冷ややかに眺めており、妻木晩田における「楼閣復元」を拒否したのである。妻木晩田の建物遺構は、柱穴や柱痕跡はとても小さく、「楼閣」に復元できるはずがないと確信していたからである。
 ところが、今回確認された青谷上寺地遺跡の細長い柱はどうだろう。径は大きく見積もってもφ25~30㎝しかない。そういう細い径の柱材でも棟高10mにおよぶ「楼観」を建設することができたということの物証を眼のあたりにして、今度は、自ら復元CGの指揮をとろうという衝動にかられてしまった自分に驚いている。一昨日も述べたように、このように繊細な材による楼閣建設、そして蟻桟のごとき細やかな継手仕口の技術が出現したのは、一つには金属器の導入、いま一つには材料としての杉の卓越(植林?)という2点の背景をみとめうる。それは縄文時代の伝統から脱皮した文化複合の一翼を担う技術の革新を示すものであった。

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↑骨組み復元CG(妻入案)


  1. 2006/11/10(金) 13:30:00|
  2. 史跡|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

これは楼観の柱穴ではありませんか

現在奈良県御所市で京奈和自動車道の建設に伴う大規模な発掘調査が行われております。
そこから次のURLに示したような、柱穴らしき物の出土があります
。一番下の写真「これは何か」とした写真です。

http://yamatai.sblo.jp/article/43776536.html

柱穴とすれば、穴の大きさは直径約1m強。2m間隔くらいで3個並んでいます。
写真には写っていませんが、向かって左側10mくらい離れた場所に、更に1個同様な柱穴があります。
建造物の柱穴とすれば建造物は、調査範囲の右側に続くと思われます。
3個のマーキングの並びが、このブログで提示された楼観復元CGを想起させます。

ご意見をお聞かせいただけませんんか。

  1. 2011/04/29(金) 10:50:25 |
  2. URL |
  3. 曲学の徒 #VBhLj3MM
  4. [ 編集]

拝復

いまご指定のサイトをみましたが、数枚の写真だけで遺構を判断せよ、というのは無理な話ですね。
やはり現場をみないことにはどうにもなりません。断面もまだ調査されていないようですしね・・・
もうしわけありません。
  1. 2011/04/29(金) 15:35:17 |
  2. URL |
  3. asax #90N4AH2A
  4. [ 編集]

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