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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

ガンマナイフの顛末

 昨日の青谷上寺地遺跡記者発表は盛況だった。こういう賑わいのある考古学の記者発表にお付き合いするのは、出雲大社境内遺跡以来のことである。平城宮跡で働いていたころでも、南(飛鳥藤原)では相当大きな記事が連発されていたが、北(平城)では地道な記者発表が多く、木簡以外ではあまり大きく取り扱われた記憶がない。もっとも、奈文研の場合、研究所全体がマスコミの過大報道に対して警戒感をもっているところがあり、誇大な発表をしないことに誇りをもっていた。
 記者発表は午後1時半から始まり、県埋蔵文化財センターの担当者が、1)データベース公開、2)弥生時代最長の柱、3)日本最古の蟻桟(ありざん)について概説し、それをうけて私が「724㎝の柱材と『楼観』の復元」と題するミニ・レクチュアをした。その内容は昨日のブログに示すとおりである。

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 埋文センター担当者の発表が進むなか、ジャケットの内ポケットに納めていた携帯電話がマナーモードの振動を伝えてきた。送信者を確かめると、珍しいことに、娘からの電話であった。その振動音の呼び出しは何回か繰り返された。しかし、もちろん相手にしている場合ではない。
 記者さんたちの質疑応答時間は長かった。熱心で鋭い質問もあれば、いましがた述べたばかりの問題を繰り返し聞いてくる記者もいる。自分以外の記者が主導する質疑応答には耳を傾けていない証拠である。それから、部材を指さした写真の撮影とテレビカメラの前でのコメントに付き合い、会場を後にしたのは午後4時前。いったん田園町の宿舎に戻って仮眠をとろうと考えていた。週末から、また別の恐ろしい時間の塊が襲ってくる。そのための準備をただちに始めたいところだが、いくらなんでも、この睡眠不足の状態で次の仕事には移れない、少しだけ休みたい、と思っていたのである。

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 宿舎の門前に着いて、携帯電話を取り出してみると、「着信6件」となっている。その6件は長女と次女からのものだった。すぐに返信して娘たちを呼び出すのだが、さっぱりつながらない。そうこうしているうちに、大学の総務課から電話が入った。
  「お家の方が倒れられて、病院に運ばれたそうです・・・」
 次に携帯のメールを確認した。14:51、東京にいる長女からメールが届いていた。
  「お母さんがたおれて今県立病院にはこばれたみたい。奈良県立病院の脳外科外来、今**子(次女)がむかってます。」
 仰天した。ただちに奈良県立病院に電話した。担当の脳外科医K先生に電話が転送された。
  「奥様が脳内出血で入院されました。意識は朦朧としています。こちらの呼びかけに対して、ぼんやりと反応される程度の症状です。右半身が麻痺しており、言葉が発せられない失語症の症状もみとめられます。CTスキャンをとったのですが、これまでに何かされていますね?」
即座に答えた。
  「ガンマナイフです。昨年の今頃、吹田の国立循環器病センターで、脳動静脈奇形を壊死させるためのガンマナイフの手術をしたんです。主治医はM先生でした。」
  「ガンマナイフですか。理解できました。主治医の先生もよく知っています。」
 16:29、再び長女からメールが入った。
  「今新幹線のったんで上手く電話つながらないかもしれないです。**子(次女)によると脳出血らしい。わたしより病院に電話して**子と連絡とったほうがいいかも。##(長男=末弟)も病院にいます。」
 次女にも長男にも電話は通じなかった。おそらく病院内にいるからだろう。新幹線に乗っている長女に電話した。長女はしっかりしているが、次女と長男は病院で泣きじゃくっているという情報を伝えられた。
 つぎに、妻の実家(佐治)に電話した。用瀬で両親と落ち合い、一緒に奈良まで移動することが決まった。さらに、来週前半のスケジュールをすべてキャンセルするために、数名の関係者にも電話をいれた。以上の電話連絡は、宿舎門前に停車した車中でおこなっており、わたしは宿舎に入ることなく、用瀬に向けて車を反転させた。

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 奈良への道は長かった。体力が衰えていたので、運転に不安があり、ゼナを2本、アスピリンを2錠飲んだ。県立病院に着いたのは夜の10時すぎ。門前に3人の子供が待機していて、ただちに集中治療室に向かった。妻は酸素マスクをつけてベッドに横たわっていた。
  「おい、わかるか、おれだよ?」
 驚いたことに、彼女は朦朧とした意識のなかで、ニコリと笑い、ひとこと
  「あなた」
とだけ述べた。
 わたしはほっとした。いちばん恐れていたのは、彼女が脳神経を傷つけられ「植物人間」と化してしまうことである。しかし、発症後数時間を経た時点で、彼女は視覚と発語の能力を失っていない。症状は「昏睡」状態に近いけれども、回復の見込みはあるだろう、とそのとき感じた。
 まもなく主治医のK先生があらわれた。CTスキャンのネガをみせていただきながら、症状について説明をうけた。
 結論から述べると、彼女はガンマナイフの手術を受けるのが遅すぎたようだ。ガンマナイフの放射線治療では、放射線をあてた動静脈奇形の部分が壊死するまでに2年以上の時間を必要とする。その治療過程において、壊死しきっていない動静脈奇形の一部から出血をみたのである。血圧降下剤を投与することによって、新たな出血を防ぐ処置が取られており、すでに出血した部分の神経に障害が起きているけれども、このまま血液の自然吸収を待つしかない、というのが主治医の判断であった。ストロー状のパイプを通して血液を抜くこともできなくはないが、その場合、新たな出血を導く危険性と複数の神経を損傷させるリスクをともなうという。
 今朝、病院で再検査の経過を聞いた。出血部分はひろがりをみせていない。彼女の意識も、わずかながら、しっかりしてきている。もちろん予断は許さないが、このまま様態をみまるしかないのが現状である。

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 病院にいたおかげで、朝刊が6紙も手に入った。奈良新聞と日経新聞に記事は載っていなかったが、朝日、毎日、読売、産経の大手4紙はいずれも青谷の建築部材とCG復原図が1面を飾っている。それから続々と連絡が入り、鳥取では日本海新聞も山陰中央新報も、たいへん大きくこの記者発表をとりあげているとのこと。また、朝日新聞については、東京でも1面を飾ったという連絡が入った。
 どうやら、なんとか自分の責務を果たすことができたようだ。

 わたしは、今、こういう状況に身をおいている。すでに述べたように、来週前半のスケジュールはすべてキャンセルした。明日の田和山遺跡復原竪穴住居の現地指導、「吉田を囲む会」は延期、月曜日に予定していた倉吉市クズマ遺跡の現地視察と三仏寺関係の打ち合わせも中止、水曜日の介護保険制度「認知症介護実践リーダー研修」アイスブレイク講演は大学院生と4年生に任せることにした。以上の関係者には、この場を借りて、深くお詫び申し上げます。

 木曜(16日)~土曜日(18日)は加藤家住宅修復現場の公開が始まり、この期間になんとか一度は鳥取に戻りたいと思っている。そして、土曜日(18日)に予定されている青谷での「細長い柱」に関する講演会の大役を務めたいという希望はもちろんある。
 しかし、それらが実現できない事態も想定しておかなければならない。

  1. 2006/11/11(土) 18:37:30|
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