
昼前にいちど加藤家を訪ねた。たぶん客足は少ないだろうと予想していたのだが、10時開場の約1時間半後に到着し、受付担当のモリさんに聞くと、
「結構来られましたよ、もう15人越えてます」
との報に驚き、嬉しくなった。
午後は
1コマ講義をしてから、プロジェクト研究2&4のため、再び加藤家へ。客足は衰えていない。最終的には40数名の来場者があった。
やはり新聞報道が効いている。
「加藤家公開の記事を書いてくれないなら、青谷のことは一切答えません」
なんていう冗談のような本気の発言が奏効したみたいだ。一昨日(山陰中央)、昨日(日本海)、今日(朝日)と続いた紙面報道をみてやって来た、という見学客が大半を占める。今日もTV局1社、新聞社1社の取材をうけた。明日は、今日のプロジェクト研究の活動状況が報道されるであろう。取材した記者さんは、大阪訛りのアクセントで、
「報道されなかったら、わたしが会社で冷遇されていると思ってください」
と囁きながら帰っていった。

↑↓北西隅のコア構造補強

それにひき換え、個人的にメールで案内を送った知人たちの反応は鈍い。
土曜日の青谷講演会の打ち合わせでやってきた埋蔵文化財センターの職員2名以外では、文化財関係者があまりに少ないではないか。これ、圧力だもんね。だれに向かってしゃべっているか、まぁ、だいたい分かるでしょうが・・・ハマダバダ。
もちろん、メールの案内でいらっしゃった方がいないわけではない。ほとんど廃村に近い旧八東町某集落に民家を購入予定のKさんは、加藤家の修復手法を応用したいのだとおっしゃる。もちろん、いつでも協力する旨、お伝えした。また、同じく
旧八東町の別の集落の大きな茅葺き民家に住んでいたH君(本学1期生)も来場、どうやら自治体が、その茅葺き民家の保全に動きだしそうな気配があるらしく、
「加藤家を見に来ることになるから、よろしくお願いします」
と頼まれた。これも大歓迎。夕方、大学に戻ると、たしかに県の担当部局から留守電が入っていた。こうして、加藤家の遺伝子が周辺古民家の修復・改修に拡散していくのならば、これ以上嬉しいことはない。

↑↓背面4畳・板間境の修復と構造補強。アクロバティック&ファンタスティック! 傑作です。

ところで、今日はプロジェクト研究2&4を含めて5コマも授業があった。夕方から大学院の授業が2コマあり、さきほど終えて部屋に戻ってきたところ。大学院の授業は毎週ではなく、隔週2コマにしているのだが、今日の2コマは堪えた。正直、ふらふらだ。前にも述べたように、
ユッカ・ヨキレットの『建築遺産の保存』を輪読しているのだが、正直、やっかいな本である。西洋建築史の専門家だけを読者に想定してるのだろうか、専門的な術語や固有名称の注釈が少なすぎる。だから、いつでも岡野がグーグルで検索して、問題となる用語を画面に映さなければならない。もちろん、それはそれでおおいに勉強になるのだが。
さきほど息子に電話した。患者は、驚異的な恢復ぶりを示しているそうだ。
「車椅子に座って、ご飯食べてたよ。右手も上げたり、下げたりしてる」
良かった。たぶん、わたしのほうがバテてしまっている。

↑朝日新聞(画像をクリックすると拡大されます)
- 2006/11/16(木) 22:32:48|
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