
先週土曜日の
「楼観」講演を聞いたある文化財主事(考古学)から、以下のようなメールを頂戴した。
「お話の中で、組合せ式の梯子だけは、青谷上寺地遺跡に出土例がないので、平城宮下層出土例を参考にされたとのことだったと思いますが、 以前、鳥取市桂見遺跡を発掘調査したときに、弥生時代後期の木器溜りから、復元延長が9mあるスギの板材が出土しています。 この板材は、両端が30度ほどの角度でカットされている上、ほぼ中軸線上に等間隔に正方形のほぞ穴が空けられていて、当時から梯子の側板ではないか、と話していたものです。 先生もすでにご存知の上で今回の復元建物案には採用されなかったのかも知れず、 もしそうだとすれば大変失礼かと思いましたが、メールさせていただきました。(略)長すぎて、搬入するときずいぶん苦労したことを思い出します。 報告書:(財)鳥取県教育文化財団『桂見遺跡』1996」
「楼観」の梯子については、刻み梯子では長さが足りないので、組合せ式の梯子にするしかないと判断していた。埋蔵文化財センターの担当者に調べていただいた結果、県内でも弥生後期~古墳前期の出土例があることを知った。しかし、それらの木製品は、いずれも側板もしくは側棒?と推定されるものであって、踏板との複合性を示す例がみいだせなかったため、あえて平城宮下層遺跡の出土例(古墳前期)に倣うことにしたのである。奈良の自宅で鳥取から「平城宮下層遺跡」のデータを受信し、
「灯台もと暗し」
ですね、と返信した記憶がある。
ご指摘の桂見遺跡出土板材については、2000年秋の「出土木器研究会」の前日に実見している。そのときは大型建物の「破風」ではないか、と思っていた。しかし、破風や垂木ならば、材の両端は45°に近い角度でカットしてあるはずであり、30°という角度にはならないであろう。この角度はたしかに急傾斜の梯子を想像させる。仮に全長9mの梯子だったと仮定すると、床までの高さは9m×cos30°(√3/2)≒7.8mとなる。今回、柱材によって復元した「楼観」の床高は大引貫の位置から高さ約6mに復元される。
したがって、桂見の梯子から復元される高層建築の高さはCGで復元した「楼観」の約1.3倍の規模をもつことになり、棟高は13.5m前後と想定できる。茶畑第1遺跡の掘立柱建物11はこの程度の規模であったとみておかしくない遺構である。
杉皮葺きについで、こんどは梯子。復元CGははやくも二つの検討事項を眼前につきつけられている。

- 2006/11/24(金) 00:35:15|
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昨日、別のある文化財主事からは、「桂見の長い材は梯子の側板としては薄すぎる。棟飾りではないか、と思っていた」というコメントも頂戴した。
- 2006/12/06(水) 17:53:57 |
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- asax #90N4AH2A
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