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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

一人歩き

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 田和山の復元竪穴住居は、とうとう越屋根まで茅葺きが達してしまった。ただ、当初からわたしが懸念していたように、妻側煙出しの部分で雨が吹き込んでくる危険性があるという。これについて、
  「(煙出しの)下半分くらいに杉皮をタテ方向に並べて取り付けて雨の侵入を防ぎ(↓)、杉の丈は中ほどで短くカットし、その上から全面に格子を架けてはどうか?という案になりましたが、如何でしょうか?」
という質問が届いた。
 わたしはタテではなく、ヨコ使いがよいと思う。青谷上寺地で出土した妻壁板(杉)も横板だし、杉皮の壁は屋根を葺くのと同様の重ね葺きがなされていたと考えるからである。

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 さて、わたしは学科において、教務委員と入試委員と広報委員と大学院担当委員を仰せつかっている。昨日の午前は新聞で入試関係の重大ニュースを発見し、入試委員としての重責を果たすべく、さっそくメールで各所に情報を発信したりしていたら、病院に着くのが遅くなった。病室では、患者は入浴と昼食を終えてお昼寝の最中。患者の母と娘たちはわたしを待ちくたびれている風であった。
 その午前、担当医から衝撃的な告知がなされていた。
  1)杖は4脚からふつうの1脚に変える。
  2)病室のあるフロアーに限って、同行者がいなくとも杖歩行を許可する。
  3)リハビリのない週末に限り、1~2日の外出・外泊をみとめる。

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 まさに青天の霹靂。1)2)はともかく、3)にはたまげた。患者を家に連れて帰ってもいいのである。「自宅での生活がいちばんのリハビリになるから」ということらしい。もちろん、帰宅させることにした。大急ぎで、外出・外泊許可の申請書を提出した。
 帰宅の前には、午後のリハビリにつきあった。リハビリ担当の医師に、「今晩から2日帰宅するんです」と告げると、在宅生活のためのメニューを用意してくださった。
 まずは、外に出た。1周約80メートルの歩行コースには、緩いステップやスロープが織り交ぜてある。ここをいつもの3拍子で歩いた。室内に戻って血圧を測ると、わずかながら下がっている。運動は血流をよくするから、血圧を下げるのである。つぎに、畳部屋での座り方、起きあがり方を訓練した。正座の姿勢から足を崩し、感覚のある左足の親指を布団にひっかけて左足から立ち上がり、杖をもって右半身もたちあげていく。同じ行動を4回繰り返した。担当の医師からは、
  「はじめての帰宅では、たいてい自信をなくして帰ってくるけど、がっかりしないでね」
というエールを送られて、リハビリ・ルームをでた。
 それから患者を地下の売店に連れていった。リハビリ用のシューズを買うためである。これまでは、どこにでもある安いデッキシューズを履かせていたのだが、すこしまともなシューズにしようと思ったからで、患者に自ら足のサイズをあわせてもらったのである。シューズは高かった。5,040円もする。病室を出てからながい時間が経過していて、とても疲れたようだから、隣の食堂の椅子に坐らせて、大好物のホット・コーヒーを飲ませたのだが、どうやらシューズの値段に不満らしく、患者は「返そうか」となんども呟いた。たしかに、鳥取のカインズホームなら、似たような布靴を380円で売っている。とはいうものの、すでに会計を済ませてしまったし、この病院にはお世話になっているので、説得して返品を諦めさせた。

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 夕食後、わたしの愛車スウィフトに患者をのせて家路についた。なんか、信じられない。助手席に自分の女房が腰掛けていることが嘘のような現実だからだ。
  「あのさ、身障者でも運転できる車があるみたいだからさ、ひょっとしたら、また運転できるかもしれないよ。だからさ、あの調子の悪いワゴンRを買い換えちゃおうか」
  「そうね、もう少し様子をみてからね・・・」
なんて話をしていると、またたくまにスウィフトは平城ニュータウンの自宅に到着した。
 門鈴を鳴らすと、次女が飛び出してきた。患者をソファに坐らせ、家族が彼女を取り囲む。しばらくすると、デブもあらわれた。デブは患者が救急車で運ばれて家から消えた当初、右往左往していた。いつも餌をくれるオバチャンがいない。代わりに、知らない人がいっぱい家の中にいる。怖くて入れない。とくに、あのおじいさんとおばあさんは怖いな。だって、
  「シッ、シッ、あっち行け、という。わたしがいつも坐るソファにも坐らせてくれない」
 ところが、そろそろオバチャンのことも記憶の彼方に消えつつあったようで、オバチャンと再会したデブはあきらかに緊張していた。オバチャンが抱いてやっても体が固い。しかし、だんだん慣れてきた。いつもの、いちばんやさしいオバチャンの匂いをデブは思い出してきたようだ。
 
 患者は嫁入り道具に囲まれたいつもの部屋に戻ることができない。その部屋は2階にあるからだ。1階の次女の部屋が、患者の病室に早変わりした。患者は次女と二人で、すやすやと眠っている。

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畳敷き布団部屋での起きあがり練習です。

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  1. 2006/11/25(土) 03:04:17|
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